意身伝心 コトバとカラダのお作法
意身伝心 コトバとカラダのお作法 / 感想・レビュー
非日常口
発刊記念の対談にて。「俺を含めてなぜ踊りじゃないの?」と泯さん。ベーコンは自身の少数性を維持し資本主義に抗った。あらゆるところに入り込むものが言語でありダンスだ。松岡さんは「今ある作法の7〜8割は不要で残りが稽古すべきこと」と言う。日本人は元々自然をまね、身体を自然に扱っていた。新陰流の型を学ぶ私にとってこの意味は大きい。植物は地球が今の地球になる上ですべての矛盾/客人を包括して生き残る存在だ。棘をトゲと認識せず発信と受信の距離が失われた現在、地球に身体で乗る感覚を思い出そう。カッコいい年の取り方の見本。
2013/08/15
かつどん
まれ を見て田中泯さんの存在感の凄さに圧倒され、この方の凄さは何なんだともっと知りたくなって読みました。 田中泯さんと松岡正剛さんとの対談形式で進んでいきます。 感覚を言葉にしており、編集された感が無く、読み手としても感覚で捉えないとなかなか難しい読みにくさがありますが、極端に尖っているなぁ!という気質を感じます。ダンスになりたいという事を発してますが、ダンス-田中泯=?何が残るのか、要するに何が足りなくてダンスになれてないのかを一度聞いてみたい。言葉を含めた生命活動をダンスと言ってるのかな。
2015/09/26
Hiroki
朝霞図書館 理解出来たかと問われれば、甚だ怪しい、妖しい、アヤシイ。でも理解したい・理解しようの心意気は読み進むほどに強くなったので、まぁ今日のところは良しとしよう。以下のような魅惑的な記述が溢れかえっていた。コンプレックスは価値あり。一個の人間の中には無限ともいえる生命体が存在している以上、生き死にを勝手にするのは烏滸がましい。カラダはココロに先行する。家父長制温存や夫婦別姓反対は、国家の収奪システムが崩壊する危険から叫ばれているだけ。不完全であることが最高である。礼節は大切。・・・etc
2024/10/10
保山ひャン
松岡正剛と田中泯の対談。「身体・気象・言語」のときから見ると、田中泯は俳優としてデビューしているのが一番の違いか。3回の対談はそれぞれ「未来は少年に遡る」「疾風。恋、恋、恋学」「稽古の作法ーワークショップ虎の巻」と題されている。田中泯の言葉「ぼくにとって踊りというのは、雲母の一枚一枚に違う柄がついているようなものなんですよ」が深い。対談の最後で二人のいまの夢について、田中泯は「早くボケたいとずっと思ってました。ボケこそが夢」松岡正剛も「先に言われちゃったな。ぼくもずっと耄碌に憧れてる」と答えていたのがツボ
2018/12/01
げん
松岡正剛と田中泯の対談集。まさに以心伝心の二人の会話のレベルが高すぎて1割程度しか理解できなかったが、何とか最後まで目を通した。また10年後に再読すれば、もう少し理解できるかもしれない。まずは「自分が多様な速度の中にいる」ことを認識してみよう。千夜千冊、編集学校も覗いてみよう。
2014/03/13
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