親鸞と道元
親鸞と道元 / 感想・レビュー
禿童子
五木寛之は親鸞、立松和平は道元の伝記小説を書いた立場から、宗教についてある時は薄く、ある時は濃く語る対談。八回の対談が収録されているが、立松和平の急逝によって断ち切られた形になっている。宗派の違いを超えて仏教に共通するものがある。例えば、真宗では文字ではなく聞法によってコップからコップへ水を注いでいくように人から人へ伝えることを一番重視している。道元も入宋して師匠の如浄と面授して嗣法している。立松和平が知床に建てた毘沙門堂の話が出てくるが、今はどうなっているだろうか。
2017/09/09
y_nagaura
親鸞の「無碍光」と道元の「一顆明珠」。戒律を守る道元と破戒する親鸞。お遍路は苦しみを得た人が生き、死ぬ場所。確かに似ているのかもしれない。合掌。
2018/11/25
カツドン支持者
法然が「愚かなる人こそ浄土に行く」と言い、親鸞は自らに愚禿と名付けた。禅宗においても天真爛漫な良寛が慕われるなど、愚への憧れを仏教者は持っていたとお二人は述べている。又、宮沢賢治の「雨にも負けず」等は典型的な愚への憧れの詩だとも。いつの時代も利口な人間が一番得をする世の中である。当たり前の事ではあるがそれに対するアンチテーゼとして愚への憧れがあるのだろう。syamuさんが多くの人々に支持されるのもその愚かさが人々の琴線に触れるからだろうと思う。「大愚syamu」syamuさんは実は仏教的なのだ。
2017/10/14
壹玖
思った通りいやそれ以上に自分にとって読む価値の大きな一冊だった。不惑を超えてから自分は十分に幸せに暮らしたのでもう半分はその恩返しに生きてみようと思っていた自分の心根は間違っていないようだと思わせてもらったのと同時に、救いとは何か、佛とは何か、信仰心とは何か、その認識への入り口にも立たせてもらえていることの確かめにもなった気がする。兎角物事に意味を見出しがちで形にしないと理解に苦しむ人間に『それはすべて何者でもない、光だ』と何者かが教えている。眩しく輝く『ナニカ』なのだ。佛も救いも僕もあなたも。と。
2017/02/14
nizimasu
五木さんのライフワークである親鸞と、立松さんのライフワークであった道元を巡る対談集。やはり、日本の仏教において、鈴木大拙さんもあげていた宗教改革者としての側面だけでなく、それぞれの世界観をあげていて興味深い
2011/06/09
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