言語と行為
言語と行為 / 感想・レビュー
白義
恋人の家で「お腹が空いた」とこれ見よがしにアピールする男がいるとしよう。彼はそれで空腹を訴えたいわけではなく、料理を作るよう促す行動をしていると考えて問題ないだろう。約束や判決のように、それ自体が行動であるような言葉が存在する。その極めて素朴で当然な立脚点から出発し、精確な分類を与えながらも、オースティンは自らそれを懐疑的に覆す。そしてそうした考察の果てに、言葉に文字通りとは違う意味や、行為としての意味を通して、その背後にある現実、自然と人間の一筋縄ではいかない関係を指し示している
2013/09/20
coaf
言語行為論だが、ここまで来ると哲学というよりはむしろ言語学に近いと感じた。ヴィトゲンシュタインが好きな僕としては、本書はちまちましてテクニカルで専門性が強くてあまり好きにはなれなかった。言語哲学というより言語分析という感じ。
2013/10/13
ちょっかん
言語行為論の代表的著作。オースティンは哲学者として著名であるが、もちろん言語学でも必ずといっていいほど名前が連なる学者である。まず初めに、遂行体と確認体の2分法を提起する。ここは命題に対する真偽の判定を行う哲学・論理学の背景を知らねばならない。ただ結局この2分法は曖昧なもので明確に区別できるものではないと自身で批判する。その後、有名な3層構造を提示する。著者はその中でも発語内行為が重要と説く。本書は語用論・社会言語学において特に示唆に富む著作である。
2019/04/15
NICK
オースティンの提唱した「事実確認的発言」と「行為遂行的発言」という概念はのちのコミュニケーション理論に多大な影響を与えたという事で読んでみた。ところがオースティンは確かに最初に前者と後者を対立させているのだが、行為遂行的発言の不適切性の検討をしていくうち、その区別が徐々に意味をなさなくなり、最終的に陳述文もある種の行為を遂行すると結論するのには驚いた。まさか自らの概念を自ら突き崩してしまうとは。興味本位で発話行為論手を出してしまったが、その期限からして一筋縄でないようだ。分析哲学スゴイ
2011/12/19
井蛙
本書では「記述的」「行為遂行的」という二分法を最終的に破棄し、言語行為を発語行為(この中には音声行為、用語行為、意味行為が含まれる)、発語内行為、発語媒介行為の3つの相に分析する。オースティンが最大の関心を払うのが「言語を話しつつ、何かを行う」発語内行為である。オースティンによれば発語内行為の成立には、発語媒介行為とは異なり、慣習的な要素が必要であるという。それでは発語内行為を成立させる慣習とはいかなるものなのだろうか。本書ではその問いは開かれたままである。
2017/12/12
感想・レビューをもっと見る