言葉が鍛えられる場所
言葉が鍛えられる場所 / 感想・レビュー
あじ
喉に引っかかる小骨のように、言葉がしがみついてくる時がある。言葉に躓く事が言葉のもどかしさを痛感する一番の近道で、即ち鍛える部位に的確に効くのかもしれない。平川さんの論考は、言葉に対する誠意に満ちていた。詩を愛でる読者なら引用される数々の詩を前に、何度も立ち止まってしまうだろう。拾い集めたい言葉があまりに多くて。
2016/11/21
けんとまん1007
言葉が氾濫していると思う今という時代。言葉が、言葉本来の意味を失って、単なる記号にしか過ぎないことが増えている。表面的は美辞麗句は、よく耳にも目にもするが、全く心に響いてこない。ただ、違う意味で、胡散臭さを感じることは多い。中に書かれている、天皇・皇后両陛下の営みと、今の政治家(総理大臣をメインにしているが)の記号としての言葉だけの姿勢との対比が、納得感が強い。それは、自分の身近なところでも増えている。そして、最後のほうのフレーズ。言葉の内容よりもヴォイスを聴くようになった・・・。ここに真実がある。
2018/12/09
とよぽん
平川克美さん3冊目を読む。他の方のレビューによると、異色の1冊らしい。タイトルの「言葉が鍛えられる場所」が何を意味するか、終盤でようやく明かされた。「未生の言葉」に共感できたことが嬉しい。映画「木靴の樹」を観たい。平川さんの人としての深さ、広さ、感性、生き方に圧倒される良書だ。
2018/01/27
Kazehikanai
言葉は言葉にならないことを意味する。言葉がないところに意味がある。確かにそういう場面は多い。だとすれば、言葉の意味っていったい何なのか。言葉をめぐって、詩を通して、社会や自身の経験をつづるエッセイ。言葉が鍛えられる場所は、ほとんどの場合、言葉が通じない場所だという。その鍛えられた言葉が真に意味するのは、言葉になっていないことだとするならば、鍛えられたのは何なのか。本書を通して、言葉を考えることを通して、透かし見たのは人生のありようかもしれない。
2016/09/11
Kikuyo
自分の一番深い部分に届くような言葉とは、どのようなものだろうか。 心に響いてくる言葉、フッと記憶に残ることば。情動と結び付いた言葉。著者の言葉に対する思いや、言葉とどう向き合い、どんな姿勢でいるかについて考えさせられる。「聴きたい声がある」が胸に響いた。言葉は幾らでも嘘をつける、行動が伴わない言葉は空虚だ。「現代の私たちにはもう古代からの歴史の堆積物が見えなくなっている」。言葉に対する屈託がなければ詩人にはなれない。 言葉を疑い続けつつ、どこまでも言葉の可能性を探究したい気持ちになる。
2018/11/22
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