生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ! (筑摩選書)
生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ! (筑摩選書) / 感想・レビュー
trazom
最近大いに話題になっている反出生主義。著者は、ファウスト、古代ギリシャ文学、ショーペンハウエル、ウパニシャッド、ブッダ、ニーチェを、反出生主義の切り口で読み解こうとするが、終始もやもやとした感じが抜けきれなかった。それは、ベネターの誕生害悪論をベースとして議論が展開されたことにもよるのだろう。著者は終章で、反出生主義を、超自然主義として捉えるか主観主義的に解釈するか、存在論か生成論かなどに整理した上で、生を肯定する見解に到達しているが、その論点整理が冒頭で行われていたら、もっとスッキリと読めた気がする。
2021/05/03
松本直哉
本書の問はもっぱら「私は」生まれてきてよかったかであって、「君は」ではない。この二つは別の問題だろうか。私は生れてきてよかったが、イエスを裏切ったユダは、ヒトラーは、出生前から障害と分かっている子は、生まれてこない方がよかったのか。その判断にどれだけの正当性があるのか。というよりも何が善で何が悪なのか。誕生の肯定は善も悪も含めて全ての存在の肯定を意味するはずで、悪の存在も許容するだけの強い覚悟(ニーチェの運命愛?)が必要なのではなかろうか。それができなければすべての誕生を否定する以外に道はないのかもしれぬ
2020/12/27
ふみあき
近年、哲学界隈で激アツの主にD・ベネターらが唱える「反出生主義」の来歴を、『ウパニシャッド』やお釈迦様にまで遡って考察するって内容だけど、ニーチェの「在るところのものに成ることを欲する」に含まれる「存在」と「生成」の二律背反をどう解釈するかとか、(あくまでも私にとっては)比較的どうでもいい話が延々と続いてしんどかった。肝心かなめの子どもを産むことの倫理的な是非については、とうとう答えは出ずじまいだし。個人的には、もう反出生主義はお腹いっぱいかも。
2020/11/08
TARO
古代ギリシア時代から、生まれてこないほうが良かった、という思想があることに驚いた。筆者がこれから作り上げる思想に期待したい。しかし、生まれてきたほうが良かったということと、生まれてこないほうが良かったは、非対称過ぎて、後者に前者は含まれるものとしてみえる。圧倒的な絶望を前にして希望はかすれてしまう。また、自殺したら主観的は、消えて無くなってしまうというある種の道がある。そのようなことを回避するには、宗教による社会設計しか無いのでは。その社会設計が可能となった社会だけが、希望を持ち生き延びるのではないのか。
2024/07/31
まいこ
生病老死が四苦で、目的が解脱して輪廻から抜けることならば、仏教は反出生主義なのかと、法事等でお坊さんに会うたびに質問してもはっきり答えが得られたことがなかったけど、この本でめちゃめちゃスッキリした。ブッダはばりばりアンチナタリストで、出家修行は、もう二度と生まれず子も作らないことを目的とした実践システムだったと。クリスチャンはクリスマスを祝うけど仏教徒はブッダや弟子の誕生日を祝わないの、誕生が「修行が足らないこと」の結果なら、納得。涅槃が「生きたい欲求も死にたい欲求もない」状態なら、私もそこそこ涅槃かも?
2020/12/13
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