モンテ・フェルモの丘の家 (ちくま文庫 き 11-1)
モンテ・フェルモの丘の家 (ちくま文庫 き 11-1) / 感想・レビュー
藤月はな(灯れ松明の火)
手紙だけで進行する人々の軌跡。兄の真似をしたがり、大人になれない子供のように気ままなジュゼッペ。ジュゼッペを父親と認めず、精神科医に通う映画作家のアリベリーコ。彼の愛人で一緒にいて心地よい人と別れたルクレツィア。過ぎ去った懐かしい日々を互いに手紙で思い出しながらも老い、突然の死、病気、自殺という死の匂いからは逃れられない。馬鹿げた選択での苦悩、報われないことへの驚愕、自分勝手だったからこその懺悔という自己本位な愚かさも描きながらも透徹とした哀しみともう手に入らない懐かしき日々への郷愁が胸に突き刺さります。
2013/10/04
みねたか@
ギンズブルグ最後の長編。問題作,過去作のパロディなど様々な評がある本書。初ギンズブルグとして適切かためらいつつ読み始めたが杞憂だった。週末をモンテ・フェルモの家に集い過ごして来た男女たち。書簡形式で描かれるそれぞれのミッドライフクライシス。互いへの友愛・思慕の情,嫉妬,満たされぬ思い,不安,閉塞感,焦燥感。様々な感情や痛々しい出来事がシニカルな基調の中に描かれる。不思議に救いのなさを感じないのは、彼ら自身のある種の諦念が私にも身近な感覚であるためか。読み終えるのが惜しいと思わせる作品。
2019/07/22
M H
須賀敦子さんの作品に登場していたギンズブルグ。今作が最後の長編で、全編が書簡で構成されている。ジュゼッペやルクレツィアの身勝手な言動の中にも隠せない寂しさや諦念の深さ。幸せだった頃の記憶がどんどんやるせなくなっていく、それがまた寂しい。生き続けるって時にひどく残酷で、もちろん孤独。この感覚はあとがきの指摘にあるように「コルシア書店の仲間たち」と通底していて、須賀さんの心情に思いを馳せずにいられなかった。
2019/11/02
くまさん
悲しいかな、こんなに長い手紙が取り交わされても、人と人を結びつけるどころか互いに疎遠にしてしまうことがある。関係の結び目だった丘の家も、いまは「心のなかに」あるだけで、愛した人の残像も断片化され、その手の冷たさの感触を強く残す。かつての愛人で新聞社社員のジュゼッペの手紙を「しょっちゅう読み返す」というのに、ルクレティアの放つとどめの一言がなお淋しい。「ほんとうに、わたしになんの関係もないことだから」。距離の遠さが消失した時代に、関係の遠近法も変容している。慰めはない。関係の実質だけが大事なのではないか。
2018/08/10
rabbitrun
言葉遣いが心地よい。あらすじを覚えていても時々読み返したくなる。須賀敦子を読むきっかけになった1冊。
2013/09/18
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