夢見る頃を過ぎても: 中島梓の文芸時評 (ちくま文庫 な 11-6)
夢見る頃を過ぎても: 中島梓の文芸時評 (ちくま文庫 な 11-6) / 感想・レビュー
kenitirokikuti
中島梓が1994年度の「海燕」に書いた文芸時評。これは90年代後半のうちに単行本で読んだ記憶がある(そういや、その数年前に現代国語の時間で「わが心のフラッシュマン」の抜粋を読んだのだった)。80年代の評論と異なり、もうくだけた「あとがき」文体になっているが、(笑)(爆)は使われてないのでこちらの心も乱れない。かつて、純文学であっても必ずしも面白くないものではなかったという回顧、20年後に読むとさらにしんみりする。ばなな、W春樹、笙野頼子、阿部和重、奥泉光らへの寸評には、適当な言葉が選べない…
2018/04/04
笠井康平
「いまこそ帯をすて小説のなかみだけを眺めればよいのである――そして面白くない小説にはもっとブーイングの声をたかだかとあげ、もっと自由に小説を面白がろうではないか。」(本文より)
2012/06/10
てら
へだらなコラムでよいところを、全力で書いてしまう。ものすごく誠実な人だ。なるほど、何度もガンから生還し、そして再発して死ぬのも無理はない。他に例を挙げれば手塚治虫や石森章太郎や藤子F不二雄のように、燃え尽きて寿命を迎える人は、だいたい60歳前後で亡くなる。それは勲章だと思う。しかし、残された我々はどうすればいいのだ。もう、誰にも頼らずに一人で戦うしかないということか。
2009/07/07
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