人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書 377)
人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書 377) / 感想・レビュー
青蓮
「美しい」がわかるとはどういうことなのかを論じた本。とても興味深いテーマでしたが、ややこしくてついていくのが大変でした。『「美しい」が分からない人というのは、「自分の都合だけ分かって、相手の都合が理解できない」という、いたって哀しい人なのです』『「美しい」は憧れでもあって、「憧れ」とは、「でも自分にはそれがない」という形で、自分の「欠落」をあぶり出すものでもあるのです』読んでいて、もしかして私は「美しい」が分からない人間なのかもって思ってしまいました。第3章の『徒然草』と『枕草子』の比較が面白かったです。
2016/04/12
キク
紅葉は何故美しいんだろうと呟いたら、読友さんが本書を教えてくれた。「美しいとは合理的なものを経験したときに生じる。でも『美しい!』と叫ぶ人はいても、『合理的だ!』と叫ぶ人はいない。それは人が『合理性を説く他人の言葉よりも、感動してしまう自分の実感に従うほうが合理的だ』と考えるからだ。つまり『恋の訪れ』と同じで、何も知らないのに『この人は自分にとって必要な人間だ』という直感が恋であり美しさだ。『人間関係の必要』を感じない人には『美しさ』もまた不要となる。だから『美しい』を感じられる人は強い」すごく橋本治だ。
2022/11/18
ナマアタタカイカタタタキキ
「美しい」は、リラックスした「安心できる思考放棄」から生まれる。美しさを認識することは、自分の外側にあって内側にはない良いものを求めること。欠落を意識して初めて得られるもの。──初めのうちは「美しい」に対する先入観(本書の内容に倣って「美しさ」とは敢えて書かないが、それと混同してしまっているところに原因があった)に惑わされてうまく消化できなかったけれど、興味深く読めた。世間一般の価値観によらず、自分自身がそれを「美しい」と感じた時、それは恐らく「自分自身(あるいは人間)の本来のあり方」に関わるもので→
2023/03/24
うりぼう
3.11から1年目の今日、腰痛にモタモタしながら、読み終える。1章の合理的が美しいに始まり、常に二重否定を繰り返しながら、論が進む。美しいが分からない人は、他者と出会わない人。2章の自分が美しいと出会った夕焼けと白い雲、青い空、幸福の経験のあることが、美しいに出会う条件。3章の歴史の背景にある美、美のただ中にいるのか、過去の美から遠くにあり、現状の市井に美はあるか。4章の美しいを実感させるのが愛情、それもただ見守る愛。あとがきの制度社会から近代が個を生み、非制度社会への移行の失敗が孤独を産み、自立と隔絶。
2012/03/11
ころこ
近代以前の理系的、神学的な「美」に対して、近代的な「美」とは、文系的な美である。文系的な「美」とは、文系の学問のように、何が美かというある決定的な定義について、その定義と異なる言説をつくることができることにある。つまり、言説がメタ化して「何が美かということを定義できない」ことが「美」の定義である。この実践として考えるならば、本書の冗長さは多少我慢できるかもしれません。
2019/11/08
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