「かわいい」論 (ちくま新書 578)
「かわいい」論 (ちくま新書 578) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
初版は2006年の出版なのでいささかインパクトは弱くなったかもしれない。また、この十数年の間に「かわいい」の使用頻度や意味範疇にも幾分かのズレが生じている可能性も否定できない。ただ、四方田のこの論は「かわいい」を基軸としたAnthoropologyとしても出色の出来栄えだろう。「かわいい」の位置づけを「徹底した脱政治性」に置き、歴史言語学から、またグロテスクとの危うい近接性、ジェンダー、メディアとの関係など、実に多岐にわたっての考察である。実に見事と言うしかないし、また四方田にしかできない芸当である。
2020/10/18
tototousenn@超多忙につき、読書冬眠中。
昨今、猫も杓子も海外の方までもが森羅万象あらゆる事象を 「かわいい」と表現します。 小動物を見ては「かわいい~」 箸が転んでも「かわいい~」 もはやコロナウイルスの拡大画像でさえ「かわいい~」です。 ここまで万能化した「かわいい」という形容詞の謎を 東大卒の著者がかわいく分析してくれます。 最後に蛇足になりますが、 「totoさんのこのレビュー超かわいい~」と嘘でも感じていただければ幸甚です。 ☆4.0
2021/02/05
ホークス
大変興味深い。「かわいい」的な言葉は、言語・文化により出自もニュアンスも大きく違う。その事を押さえた上で、著者は日本の「かわいい」を怜悧に解剖する。その本質はノスタルジアの力で内面化された偶像だという。ノスタルジアは、記憶が薄れる程の遠さ(過去:子供時代、遠方:外国)を条件に、何らかの依代(ぬいぐるみ、お土産等)に、「親しげ、無防備、心地よい」といった呪縛力を与える。この構造はジェンダーや歴史認識の問題で、支配や操作に繋がり易いと指摘しているが、では偶像に代わる情緒的な支えは何なのか?それは述べていない。
2016/10/08
松本直哉
明治初期に日本に来た西欧人が、日本ほど子供が大事にされている国はないと感嘆した、と渡辺京二が書いていた。確かに、たとえば漱石の彼岸過迄には三歳ぐらいの子の可愛らしい様子が描写されているが、同時代の西欧の小説に同様の描写はあまり見当たらない。何しろ、フィリップ・アリエスの言うように、子供という概念自体近代の所産なのだから。本書にもある通り、大人についても「可愛げ」という価値が肯定的に語られるのは、子供の無垢と無防備が、年代を超えて普遍的な理想とされていることを意味するのであり、西欧の子供観と対照的と言える。
2022/01/19
takam
15年近く前の本であるが、「かわいい」という言葉自体が日本語固有のニュアンスで使われていて、それに相当する外国語を見つけることが難しいという話は面白かった。また、「かわいい」ものとはどこかグロテスクな側面もあり、小さいものに対して可愛いと感じるのは日本人特有のセンスだという点、また小型化を好む日本人の性格もリンクしているという考察は読みごたえがあった。
2020/10/13
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