日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書 764)
日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書 764) / 感想・レビュー
モリータ
普段あまり手に取らない類のタイトルの本だが、田中英光の「さようなら」を読んだ直後で、井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」のことも気になっていた(そして、それらのことが後半~あとがきにかけて言及があった)ので、1時間ほどでざっと読み。「おのずから」「みずから」の論はちょっとよくわからないところもあったが。
2016/07/18
ぽっか
「さようなら」は世界でも珍しい別れの言葉らしい。別れの痛みを再会の希望によって紛らわしたりしないで、どうにもならないという諦めの気持ちを端的に言い表す。それは一見、運命に対してなすすべもないという究極のニヒリズムに思えるかもしれない。だけど実は、これまでのできごとを自分なりに総括し、満ち足りた気持ちで区切りをつけ明日へと向かうという主体的な意味合いも込められているという。それが無常観という言葉で語られる日本人の死生観でもある。今日を今日として生ききることの先に明日がある。別れは必然でもあり偶然でもある。
2018/05/13
カスミソウ
二人称の世界の人を失ったばかりで、どうやって「別れ」と向き合えばいいのか悩んでいた私に、たくさんの人たちのさようならと向き合う姿勢を教えてくれた。私たちはとても悲しいし、忙しい毎日に追われることで、別れということ、さようならということ、死ぬということについて考えることが昔よりなくなったみたいで。でも断言するわけではないけど結局は「さよならだけがじんせいだ」な訳で。出会いが必然なんだか偶然なんだか曖昧でよくわからないものなのに対して、私たちは別れについてもう少し考えることができるはず。ふぅ・・・さようなら。
2015/10/14
ken
「さようなら」に見られる日本人の死生観に迫る。言語的アプローチではなく、思想的アプローチが主。「そのようなものであるならば」、「そうせざるをえないならば」という、人生を愛惜しつつ運命を受容する人間のことばの発露、それが「さようなら」だと。筆者の筆は、宇宙の原理と実存との相克について(「おのづから」と「みづから」論)にまで及ぶ。自然と人間、超越と個人、無限と有限、そこに向き合った哲学者、宗教家、詩人、作家も数多く登場。人生という一回性の中でいつかは直面しなければならない悲しみと、その問いがここにある。
2020/07/22
13km
日本人は生き様よりも死に様に美を見いだすのかとも思った。さようならという言葉に秘められた無常観などは心にしみる。あとは「れる、られる」が自発であり可能性であり受け身であり尊敬であるということもとてもおもしろかった。ここらへんかなり複雑な葛藤や思考をしつつも日本人はこのような言葉を採用したんじゃないかな。
2012/10/10
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