日本人の神道: 神・祭祀・神社の謎を解く (ちくま新書 1659)
日本人の神道: 神・祭祀・神社の謎を解く (ちくま新書 1659) / 感想・レビュー
tamami
本書を読む前から抱いていた、神道とは何か?という疑問が頭から離れない。本書を読むことで、それが却っていや増したようにも感じられる。日本土着の神道は、中世以来神仏混淆の隆盛を受け、大がかりな社殿が作られるようになるとともに、様々な祭祀も行われるようになってきた。教祖も経典もなく、様々な変遷の痕をとどめる神道であるが、人々に希望をもたらす「宗教」として再生するためには、社殿のない形態も考えられるという。多くの神社にあるという磐座は一つのヒントかもしれない。聖なる場として祀る気持ちが、やすらぎと希望を与えうる。
2022/06/16
ヒデキ
世界中から、宗教が力を失っていく?と言われている中で 「教え」が無い神道とは、なんやろう?という疑問がさらに膨らんでしまった読後の感想でした。 神道の発祥が、古すぎて、ある意味では、形しか残っていないということが、逆に神社をパワースポット化していたんだろうなと思ってしまいました。 本来のお願いと違うことを願って作られた神社にお参りして いるかもしれない状況、自分たちってどなたに何をお願いしているんでしょうかね?
2022/08/02
Arisaku_0225
「神社にお参りする」という行為ひとつとっても2礼2拍手1礼云々は近代以降に生まれた文化で、そもそも古代はお社はなく、山の中(磐座)で祭祀する事が主流だったとかとか、知らない事ばかりで面白かった。教典も教祖も救いも無いが祟りは有る神道はコントロール出来ない自然・情勢を畏れ、祀ることによって少しでも自分らの制御下に起きたかったのだろう。現に最近、コロナ神が爆誕したらしいしこの考えもあながち間違ってないのではないか。
2022/07/16
yahiro
★4 面白かった。日本の神道は、西洋的な意味で「宗教」ではなく、土着の文化や伝承そのものなのだと思う。その意味で「神を祀る・神に祈る」ことの意味が、単に利益を得るといったものではなく、飢饉の回避のためにやっていたという視点は、わかっていたものの新鮮だった。伊勢神宮の天照大神も、一種の「畏れ」の対象として、京都から離れた伊勢に祀られていた、というのも納得。
2022/09/20
乱読家 護る会支持!
僕は神社を、人知を越えた「何か」との対話の場所だと考えています。 荒ぶる神は、そのままでは怖くて相対すことは困難だけれど、神社という基本形態に神を押し込めて、「良き神」として人々が祀ることで、神の良き面だけが現れてくる。 良き面を輝かせている神だからこそ、我々は安心して神に感謝し、神に祈ることができる。 それは、人から愛されることで、人から信頼されることで、人から役割を任されることで、その人の良き面が発揮される、人間の成長と同じなのかもしれないですね。
2022/11/28
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