ドストエフスキ-の詩学 (ちくま学芸文庫 ハ 8-1)
ドストエフスキ-の詩学 (ちくま学芸文庫 ハ 8-1) / 感想・レビュー
しゅん
およそ10年ぶりの再読。一つの立場に集約される「モノローグ小説」とは違う、終わりのない対話性を実現した「ポリフォニー小説」として読み込む。その源泉に古代ギリシア、初期キリスト教文学から連なる「(見世物ではない、参加者全員が投げ込まれる意味での)カーニバル」性を見出す。今や古典として確立した一冊だが、文学の歴史全般を細かく論証するというより抽象的に語っている。言い換えれば大雑把で話がデカすぎるのだけど、そこに説得力が宿っている。背後にあるものが強ければ、強引な議論をしても揺るがないのだなと学んだ。
2021/07/15
フリウリ
後藤明生「カフカ」からの派生。「人間は、自分自身の内側だけでは、けっして完全な充足を見出すことができない」のであるから、「対話の開かれた構造」が必要なのである。ドストエフスキーの小説に特徴的なポリフォニー性とカーニバル性は、多様なレベルでの「終わりのない」対話が導入されることで、成就されている。ドストエフスキーを読む人は、読んでわかると思います。なお、平凡社ライブラリーの「ドストエフスキーの創作の問題」と内容が同じであることを、入手してから知りました。なので再読でした。8
2023/05/28
ラウリスタ~
西洋文学におけるモノローグの伝統からするとドストの小説は、構成がまずく無関係で冗長な会話の氾濫に見える。バフチンはドストの小説がポリフォニー(多声的)であることに注目し、作家が登場人物たちを秩序立って配置するのではなく、自律した登場人物たちが勝手に(作家と同レベで)喋り捲るという詩学に貫かれていることを示す。唯一の真理を求める19世紀までに対し、未決定の可能性に開かれた20世紀的世界観。多声理論からドスト特有の脳内対話(分身、悪魔)による思考生成の過程を鮮やかに導き出し、作家の特権性を剥奪しつつも、作品→
2019/02/10
またの名
他者の意見を恐れてると思われるのを恐れ主人公は自分をディスりながら他者が否定してくれるのを望み万が一賛同してきた場合に備え最終的な逃げ道の言葉を先取りし確保しようとするも、その全てが他者を前提してる態度を露呈すると自覚してる悪循環。誰宛てか明示しないままエアリプを仕掛けパロディや皮肉として引用した他者の言葉が自分の言葉と混濁し合い「対話」するドスト世界では、作者含め誰もがA=Aの同一律を失って自己と一致せず最終的なアンサーを持てない。本書が示す多声性とは溶け合うハーモ二ーではなく、互いをさえぎる不協和音。
2019/10/17
Happy Like a Honeybee
ドストエフスキー研究書と名高い一冊。太宰治がカラマーゾフの兄弟から蜘蛛の糸を拝借したように、第四章のプロット構成は他作家にも良い影響を与えるだろう。死、笑い、饗宴。カーニバル的系列をメニッペア文体で再構築し、ポリフォニー(多声楽)小説が完成する…。再読必死。
2016/01/23
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