マラルメ論 (ちくま学芸文庫 サ 11-1)
マラルメ論 (ちくま学芸文庫 サ 11-1) / 感想・レビュー
月
「マラルメが生涯を通じてひたすらカリグラムのことを夢想し続けたのは、補完的表現様式によって詩を豊かにしようとした為ではさらさらない。それは、何ものも偶然に任せない為であると同時に、語からその最後の動詞的性格を奪い去る為でもあった。ペンの描き出す線としての語はまずその能書的な機能に専心するだろう。それは自分を見させようとする。こうして決定された語にとって、意味作用はいわば重層的決定として訪れる。創作の主観的な順序においては最初にあるはずの意味作用が、客観的な順序では最後のものとなる。」
2016/04/19
ラウリスタ~
もちろんマラルメについて学ぶことは、この本からは難しい。直接的にはさほどマラルメについて書いているわけでもない。19世紀末を見詰め、マラルメが生まれなければならなかった環境を描き出し、なにやらマラルメであるような人についてたらたらと書いている。それでも、なにやら面白い。19世紀末のことに関して多少勉強しているからか、サルトルが妙に回りくどく言っていることがなんとなく分かる。象徴派の特異な詩人達を必然的な歴史の輪のなかに組み込むようにも見える。
2012/10/30
井蛙
端から望み得ないものを否定することによって、それを甘美な憧憬の中に保存することしかできなかったプチブル、その時代意識を最も先鋭化させたのがマラルメであるとサルトルは言う。世界と交渉する掛け金を予め奪われたマラルメは、自身を純粋な否定性と化すことで世界全体を括弧に入れる。彼が言語に、とりわけその両義的な性格に惹かれてゆくのは必然である。詩の主題は詩となる、つまり批評詩になる。彼は世界を破壊し、それをかつてあり、これからあるそのままの形で再創造しようとするだろう。無論そのとき彼は不在の常闇に沈んでいるのだが。
2018/11/13
憂鬱
現実を破壊するために、又現実により覆い隠されて了った世界の真相を暴露するために、「選ばれし者」マラルメは正統的な詩作手法を放擲し、一般的な言語表象の機能を殺戮し、カント的純粋表象を目的として<無>を謡う。<無>とは何か。それはマラルメ的詩句による現実の虚無化の末に到達する地点、詩という献花に彩られた事物の墓場だろう。だが観念ではない筈だ。とすればそれは詩人の嫌悪した現実なのだから。その点が僕には曖昧な理解となり苦々しい。<無>、言葉にしてはならぬそれへと現実を還元する事、それが彼の戦略なのではなかろうか。
2012/12/04
トクナガ
正直よくわからんかった。 だが、この時代の詩を理解するためにはある程度歴史に対する理解が必要らしいことを知れたのは収穫だと思う。
2019/09/07
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