ハイ・イメージ論 1 (ちくま学芸文庫 ヨ 1-7)
ハイ・イメージ論 1 (ちくま学芸文庫 ヨ 1-7) / 感想・レビュー
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2013.02.16(再読)吉本隆明著。 2013.02.16 (あとがき) この本、ハイ・イメージ論の着想と方法の導入口になっている。 ハイ・イメージ論は、未知の現在を追っている。 もう現在の未知を、既知にしてくれる方法も、そんな認識も、そんな認識者もどこにもいなくなった。 (解説=芹沢俊介) 占い師、というか、シャーマン、というべきかは知らないが、その種の人と話したことがある。
2013/02/16
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2013.09.07(つづき)吉本隆明著。 2013.09.06 人工呼吸を施している看護婦の後頭部が見られるはずがない。 この体験は、悲愴的な像(イメージ)が視られるはずのない対象物の裏側や、側面や、上下をぼんやりとではあるが現前させているのに対応している。 (1)平面スクリーンに対象物の撮影像、映っている。 (2)刻々に変化するイメージが得られる。
2013/09/07
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2013.07.12(つづき)吉本隆明著。 2013.07.11 想像力で生み出された対象物の像(イメージ)。 これをいま、ここで分解してみる。 これは理論的な仮定だけからすれば、可能だ。 すべて想像力で創りだされたイメージは、(1)対象物と、(2)想像している主体とを同時にみているもうひとつの<眼>と、(3)対象物のただの視覚像とに分解される。 ↓理論的な仮定からするこの分解作用→大切な意味を持つ。 なぜなら、人間を映像機械の概念で見ようとするとき、意味をつけられるからだ。
2013/07/12
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2013.04.05(つづき)吉本隆明著。 ◎映像の終わりから。 1. ベッドに横たわる自分を治療する医師が見える。 自己客体視の記述。 未開の心性ではきっかけさえあれば、日常、しばしば出会える。 コード・ピンク、コード・ピンクと叫び、走る看護婦たち。 十二人いるのが見えた。 想像力でうかべるイメージ。 空中に浮かんだ「わたし」から見られた「わたし」の溺れている姿や病床の光景の体験に一番近い正常体験は、想像力でうかべる像(イメージ)だといえる。
2013/04/05
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2013.11.03(つづき)吉本隆明著。 2013.11.03 (p026) 3. いままで生産の場に即して生産手段の「高度情報化」がどんな意味なのか考えてきた。 そして、それが労働価値を左右するとすれば、どこから発生するとすれば、どこから発生するかを見てきた。 「手段の線形の総和」であらわされる「高度機械化」の労働価値と異なった「手段のマトリックス的な総和」の価値パラメーターによって労働価値の概念的変換を強いられる。
2013/11/03
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