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フ-コ-・コレクション (5) (ちくま学芸文庫 フ 12-6)

フ-コ-・コレクション (5) (ちくま学芸文庫 フ 12-6)

フ-コ-・コレクション (5) (ちくま学芸文庫 フ 12-6)

作家
ミシェル・フーコー
小林康夫
松浦寿輝
石田英敬
Michel Foucault
出版社
筑摩書房
発売日
2006-09-06
ISBN
9784480089953
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フ-コ-・コレクション (5) (ちくま学芸文庫 フ 12-6) / 感想・レビュー

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夜間飛行

フーコーはセクシュアリテを現代における快楽の解読装置でありエコノミーと見ている。そもそも道徳のコードは、ストア派の原理からキリスト教の告解などを経て、近代の倫理へ受け継がれた。告解する人はリビドーを理性で計りながら真実を語らねばならず、そこには言説の生産に関わる権力のメカニズムが働くらしい。フーコーは古代の「自己の技術」を参照しつつ、告解から倫理に至る思考を跡づける事によって、性と真理に関わる「主体」を掘り起こす。思考を超時間的なものと見ず、歴史の中に生まれるものと見る所から彼の地道な探究が始まるようだ。

2020/03/29

くまさん

リビドーと意志を切り離すことはできない。私は何を欲望し、私にはどんな意志があるのか。それを解釈し、自分を制御して他者に従属することが古代キリスト教で求められていく。「道徳的な主体化の諸形態の歴史」研究のモチーフがていねいに語られている。「書物が、それを書いた者に対して彼が知らないことを教え、彼を予測もしていなかった場所へと導き、そして彼が自分自身に対して見知らぬ新たな関係を打ち立てることを可能にするのでないとしたら、苦労して書物を書く意味などないであろう」(「性の歴史」への序文)という言葉も示唆的である。

2020/12/21

ラウリスタ~

古代ギリシア人の性慣習や、その語られ方について。語られるからそれが一般的だったと考えるのか、それとも語られることは一般的でなかったから語られるのか。語られないのは、隠すべきだと考えられていたからなのか、それともそれに対する関心、それを語ることに対する関心そのものがなかったからなのか。彼自身の性の向きかたとも関連しているようだ。これまたインタビューが中心なので読みやすい。

2013/07/14

koke

「自由の実践としての自己への配慮」のみ読了。周囲がフーコーに期待している議論と、フーコー自身の問題設定とのズレが際立っていて興味深い。周囲は支配から解放される方法を教えてもらいたがっている。しかしフーコーが権力(の諸関係)という言葉で考えているものはむしろ倫理に近い。

2022/11/23

R

性の問題について避けて通るからより壁の向こうに押し込めて,ポルノにしかならない。ポルノには様々な人間の欲望が具現化されており,多種多様な嗜好をくみ上げるために日夜フル回転で生産されている。すべてオープンにすべきではないかもしれないけれど,見ないふりをすると問題ばかり大きくなる。

2020/08/01

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