フ-コ-・コレクション (6) (ちくま学芸文庫 フ 12-7)
フ-コ-・コレクション (6) (ちくま学芸文庫 フ 12-7) / 感想・レビュー
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まず「汚辱に濡れた人々の生」を何度目かに再読して、結局、全体としてははじめて通読することになった。ほとんどの論考が既読だったことに途中で気づいたが、テーマ別にセレクトされたこのコレクションはずいぶん読みやすいもので、素晴らしい企画だ。筑摩にはほかにベンヤミンやデュメジルのコレクションもあるし、文庫にしてはお高いとか言ってられない。それにしても「汚辱」で示唆された視点の瑞々しさよ。この視点(つまり権力と文学のディスクール上の共属性)から書かれたアウエルバッハ風の文学史はないものかと探してみたが見つからず。
2017/03/06
ネムル
フーコーに帰ってコロナ禍の権力を理解しようというのではないが、しかし都市や社会の行政改革のなかで健康や人口がいかに管理されてきたかを追うのは面白い。しかし本作では何をおいても、滑稽で暴力的な言葉(ランガージュ)と簡素なディスークルの緊迫した関係を扱う「汚辱に塗れた人々の生」だろう。18世紀の施療院に残された収監申請文書に文学の発生をみる、フーコーのマージナルな者への視線が優しい。これと「生命 経験と科学」の二編に秀才フーコーの人間らしさが感じられる。
2020/09/25
koke
「啓蒙とは何か」のみ読了。啓蒙は集団的なプロセスであると同時に、個人が勇気をもって行うことでもある。啓蒙にとって現在は、時代区分でも推移点でもなく、私たちが内側からひとつの変化をもたらすべき瞬間である。では変化が可能でありかつ望ましい場所はどこか。それを決めるためには現実・現在のテストが不可避であり、「全体的で根源的」な企ては失格(ハイデガー、マルクス主義等?)。考古学的な方法が必要となる。まとめると、私たちには上空飛行が不可能だからこそ方法論と勇気が要るということか。
2022/11/24
ラウリスタ~
ところで、このシリーズと「思考集成」ってどういう関係なんだっけ?重複してるの?それはともかく、今回も面白かった。死ぬ直前のが多い。背表紙にも書いてあるとおり「汚辱に塗れた人々の生」はかなり面白い。文字に書かれるものってのはかつて高貴な、特別なものだったはずだが、その対象が拡大していく。収監承認申請文書では、当人がいかに悪逆な奴であるかについて文字が使われる。本書前半三分の一ほどを占めるのが「真理と裁判形態」。昔の裁判って爆笑ものだろ、証人を立ててるのに使われないし、見てもいない身内の数が真理となる。
2013/07/07
左手爆弾
フーコー最晩年の思考。統治という概念の中に含まれる絶妙で微細な技巧、そしてそこから成立する人口という主体、講演やインタビューの拾い集めでありながら、全体に貫かれるテーマは明快である。ニーチェの認識についての考察が含まれる1、医学という統治技法について語る4、言説の価値と意味を考える5、マキァヴェッリの君主論とその反応から統治を考える6、有名な牧人権力を語る8、そしてカントの『啓蒙について』の問いを深く受け止め、問題を再構成する9、これらから特に感銘を受けた。
2012/02/25
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