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存在と無: 現象学的存在論の試み (1) (ちくま学芸文庫 サ 11-2)

存在と無: 現象学的存在論の試み (1) (ちくま学芸文庫 サ 11-2)

存在と無: 現象学的存在論の試み (1) (ちくま学芸文庫 サ 11-2)

作家
ジャン・ポール・サルトル
Jean‐Paul Sartre
松浪信三郎
出版社
筑摩書房
発売日
2007-11-07
ISBN
9784480091062
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存在と無: 現象学的存在論の試み (1) (ちくま学芸文庫 サ 11-2) / 感想・レビュー

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またの名

同じことを繰り返す哲学書の悪癖を遺憾なく発揮し、多分やれば3分の1以下に削れる大著。反省以前の身体物体や無意識やもう確定した過去という即物的な即自の存在から、反省し自己を意識する意識として自分に向かう対自へと生成した人間が、喜びや不安に欲望や時空間をも作り出すプロセスを議論。どのようにしても自己と自己が一致しない非同一性を常に抱えた人間とは、AとA'の間を分かつ実体は「何もない=無」なので、非同一の無の亀裂を万物の間に刻む、いわば即自存在に取り憑く自己意識という無。その中に存在だった時の思い出が残余する。

2022/12/13

ソラヲ

ハイデガー的な存在論かと思いきや実際に読んでみたら存在論というよりも寧ろ自由や他者に関する倫理学の本だった。実存主義。人間存在は机の上にあるコップのように「ただ、ある」というあり方をしている即自(être-en-soi)ではなく、「それであらぬところのものであり、それであるところのものであらぬ」という対自(être-pour-soi)であるということから自由が論じられ、また他の人間存在も自分と同じ対自であることを認めることによって次巻における対他(être-pour-autrui)の問題へと繋がっていく。

2016/04/29

井蛙

本書の目的は現象学の発見した意識の志向性を脱自的構造として存在論的に基礎付けることにある。現象を即自存在として打ち立てるとき、この現象への問いかけが孕む否定を現象そのものへと帰することはできない。この否定は問いかけるものの無に起因している。かくして自身の無を存在するものとして対自存在が発見される。対自存在は「あるところのものであらず、あらぬところのものである」という規定から直ちに己を時間性として開示する。加えて己を全面的に無化することによって世界を現象させる。これは観念論から存在論への移行を意味している。

2018/05/02

構造主義に乗り越えられただとかハイデガーは認めなかっただとか、聞く評判は微妙なものが多いが、自分はこの本を読んでサルトルは今でも十分重要で、むしろサルトルをこそ中心に研究をするべきではないかとまで感じた。まず形式については、ものすごく論述が丁寧で、その様はあのアリストテレスを彷彿とさせる。先達の哲学者を一人一人吟味していて、議論がその俎上の上に乗っかていることが明瞭にわかる。また、例えも多いのだが、その文学的表現がとても豊かで、心の微妙な機微を繊細に描き出している。その様はまるでキルケゴールのようだ。

2016/11/18

☆ツイテル☆

フライヤー

2022/08/06

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