存在と無: 現象学的存在論の試み (3) (ちくま学芸文庫 サ 11-4)
存在と無: 現象学的存在論の試み (3) (ちくま学芸文庫 サ 11-4) / 感想・レビュー
燃えつきた棒
僕の青春のバイブル。 愛とは、自由とは、孤独とは、すべてこの本から学んだ。 だから僕は今でもサルトリアンなのだ。
またの名
顔がルッキズム的に生き辛かった著者があらゆる劣等感コンプレクスを克服し、彼女に新しい生き方とか吹き込んで複数恋愛ヤリ放題を実現した哲学の、大団円。劣等感を扱うアドラー心理学に当然言及しその発展形のように、過去や環境の中に立ちはだかる障害つまり状況は、未来へ企図した目的から逆照射され意味が規定されると説く。ゆえに田舎住みやブサイクな外見および人種等の障害すらも、自分が立てる目的に従ってのみ良し悪しが決定。実存主義においては世界も自分もどんな意味を持つか=幸福か否かに関して、個人が選択の絶対的責任者にされる。
2023/03/04
井蛙
人間は自由であるべく呪われている。他方人間は己の存在の限界として完全な偶然性、つまり事実性を見出す。問題はこの自由と事実性の関係である。人間はこの事実性に向かって己を超出することである状況を作り出す。肝心なのはこの事実性と状況は理論的には切り離すことができても、実践的には不可分であるということだ。つまりある人が如何ともしがたい己の不幸な境遇をかこつ、というようなことは間違っている。その人は状況をそのようなものとして存在するべく選択しているのだ。状況とは厳密な意味で私で「在る」。これが自由の深い意味だ。
2018/05/28
よく読む
本巻はサルトルの自由についての有名な考えが出てきた。人間は根源的に自由なのだ。サルトルは、対自は則自を求めて自己の存在を完成させようとするが、それは決して叶わないという。しかし、対自と即自がついに最後まで理解できなかった。
2017/04/21
毎日が月曜日
納豆食べたい
2021/07/20
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