柳田国男を読む (ちくま学芸文庫)
柳田国男を読む (ちくま学芸文庫) / 感想・レビュー
HANA
読んでいる最中に、以前新書版で読んだことがあるのに気が付く。それでも民俗学が学問と成立していく上での取捨選択、そして切り捨てられたものがいかに豊穣であったか。というのには再読で改めて教えられた。考えてみれば柳田以降の民俗学で名著と呼ばれるものや個人的に興味を惹かれたものは、その切り捨てられた部分、漂泊であったり怪異であったり、が少なからず関わっているような気もする。後半は日本の多様性であったり、柳田批判に対する批評等。しかし各タイトルに沿って、エピグラフとして提示されている柳田の文章がとても魅力的だなあ。
2013/08/25
三柴ゆよし
たとえば柄谷行人の出鱈目な柳田本と比べて雲泥の差がある良書。個人的には柳田の思想的変遷を丹念に追っていく前半部が特に(半分以上は復習だが)おもしろかった。漂泊⇨定住という関心の推移を経て、常民の学としての「民俗学」が醸成される過程で、山人、遊行の民、妖怪など、稲作と祖霊信仰の枠組みにおさまりきらない存在が祀り棄てられていく。また後半部では3.11以後の東北に向けて、また世界文学の枠組みのなかで、柳田國男のテクストを解き放っていく可能性が提示される。そろそろ柳田を再読しなければならない時期かもしれない。
2020/01/04
壱萬参仟縁
図1他界願望/経世済民をめぐる柳田の思想の流れ(025頁)は、明治から昭和にかけての流れを図式されており、参考になる。Sの字状で、新体詩→農政学→前期(民俗学以前)→後期(民俗学体系化)のようだ。農政学では挫折していたのは知らなかった。評者は農業経済学と文化経済学を天秤にかけてきた経緯がある。前者の限界を後者で乗り越えようとしたが、柳田先生も農政だけでは農村分析は限界があり、もっと庶民の暮らし起点にせねば、と思われたのかもしれない。『郷土研究』は「ルーラル・エコノミー」を主体に(133頁)。子安宣邦氏は→
2013/10/02
翔亀
正月にお屠蘇を飲みながらのんびりと読んでいたら、とんでもない刺激的な本で姿勢を正してしまった。常民と稲と祖霊の三位一体の単一的な日本人の懐かしくも美しい原風景を示す<民俗学>。しかし、その創始者たる柳田自らが、民俗学成立のためにあえて切り捨てたものがあった。<民俗学以前>の前期柳田の中に読み取る、被征服民族の生き残りとしての山人、アイヌ人との共存の姿、漂白の民が定住した時に定住農耕民がよそものと差別した結果生まれた被差別部落民。まだ尽きせぬ魅力が眠っている柳田を、今、読むことの楽しみが増す。傑作■94
2014/01/03
マーブル
柳田国夫は民俗学の創始者ではあるが、民族学者ではなかった。『遠野物語』のみでは語ることのできぬ柳田の姿。その評価。柳田を自らの「学校である」としながらも、批判すべきところは批判する柳田国夫を知るための良書。 ブームのように高い評価を得ることがあったり、生け贄のような批判の矢面に立つことがあったとしても、「すでに古典である」とあらためてそれらの評価からは距離を置いて柳田の思想を発生的に辿りながら読み直す姿勢は、さまざまな対象を考えて学ぶべきところが大である。
2019/08/02
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