ベンヤミン・コレクション 7 〈私〉記から超〈私〉記へ (ちくま学芸文庫 ヘ 3-11)
ベンヤミン・コレクション 7 〈私〉記から超〈私〉記へ (ちくま学芸文庫 ヘ 3-11) / 感想・レビュー
ラウリスタ~
ベンヤミン・コレクション、これにて完!とのこと、ちくま学芸文庫でほとんど全集しちゃったよ、てへっ。すごいな。この第7巻では、自らの著作から「私」を排除したことで、良いドイツ語を書けるようになったと自負するベンヤミンが自分について語っているところを中心に、よくわからない文章を含めごった煮。プラトンの対話篇を真似た習作が意外に秀逸なことを言っていて驚く。というか、やはりベンヤミンの知的背景はやっぱり世紀末だね、良く読んでる。ドイツ文学に関するところはほぼ流し読み。
2014/09/01
Historian
〈ちくま学芸文庫〉のベンヤミン・コレクション第7巻で完結。一番最後に「歴史の概念について」の異稿断片集があり、これが思索をいざなう。「過去をありありと思い浮かべることのもつ偽りの生々しさ‥‥。」「歴史家とは後ろ向きの予言者なのだ。」「過去が現在と一緒になってひとつの状況布置をつくりだす。」 手に取りやすい形で7巻本を編訳・刊行してくれた浅井先生、そして筑摩書房、ありがとう!
2014/07/21
呑芙庵
コレクション7巻、完結させた訳者たちに大感謝である。
2017/11/21
roughfractus02
Es gescheht=それは起こる。主語に厳密なドイツ語にも人間に把捉不能な事態を表す言葉がある。es gibt(=それが与える)から存在の哲学を構想する同時代人ハイデガーは認識論の暴走に哲学の危機を感じた。著者にとって危機は歴史だ。Historieなる外来起源の語は人間精神からの歴史であり、物語が直線的時間に沿って展開する特質をメディアがプロパガンダに利用する時代を彼は生きた。「私」を極力主語にしない流儀を貫く著者は、出来事の歴史(Geschichite)を主体とし、瞬間ごとの私をそれに出会わせる。
2017/02/14
感想・レビューをもっと見る