ひきこもり文化論 (ちくま学芸文庫 サ 34-1)
ひきこもり文化論 (ちくま学芸文庫 サ 34-1) / 感想・レビュー
ころこ
精神疾患を伴うことがあるとしても、それ自体は病気ではないという観点から、精神科医として「ひきこもり」に言及すべきではないのか、それとも社会への提起として「ひきこもり」の問題を訴えていくべきなのか。著者は、医療従事者として個別の視点と、批評的な全体性の視点とに引き裂かれて議論をたてています。この問題は社会的な反響が大きかっただけでなく、著者が医師(個別)として仕事をする傍ら文筆業(全体)を行うという、著者自身にとっての根源的な問題に触れているため、出版から15年超経っても的を射た指摘がなされています。
2019/12/23
ゆう。
ひきこもりは、病気ではなく、また個人の気質の問題で片付けてしまってないけない。一つの社会問題としてみる必要がある。また、この社会のなかで、ひきこもることには寛容でありたい。ではどのような支援が求められるか。この本にはそこまで示していないが、社会的排除の一つとして捉えようとする視点は参考になった。
2020/05/19
rico
長年「ひきこもり」と向かい合ってきた著者が、「ひきこもり」の原因や文化的背景、対策等を論じる。「あるべき生き方」の規範が強い日本や韓国で問題となっているということには、なるほどと思う。精神科的治療が必要な場合も多いだろう。元になる書籍の初出版はは2003年。ひきこもっている当人も暮しを支えている親たちも年を重ね、さらに厳しい状態になっているはずだが、問題がなかなか表に出てこない。彼らは将来の「孤独死予備軍」に他ならないのだが。カバー絵のタイトルは「飛べなくなった人」。痛々しい。
2018/11/27
ラウリスタ~
これは実践的なひきこもり対策本ではない、ひきこもりという生き方が日本の現代社会が抱える諸問題の表出であると捉え、それを肯定し、かつケツを叩く。安易に「ひきこもり=犯罪者予備軍」というメディアのレッテルをはがすことから始まった斎藤の運動は、媒体によって言っていることが180°違うと批判されるほどに、論争的でそれが及ぼす効果を狙ったもの。ひきこもりを許容しうる豊かな社会が、生み出しうる可能性を一度は認めた上で、それでも安易な「ひきこもりこそ正義」論を展開するのではない。高齢化するひきこもりの末路は暗い。
2016/05/06
OjohmbonX
ひきこもりの臨床例や治療法の紹介ではなく、社会的/内在的な構造が語られている。もともと、ひきこもるのも結構しんどいだろうなと、蟻地獄みたいにもがくほど抜けられなくなるようなシステムなんだろうなと漠然と思っていたけど、その機序を明確にしてくれる。自尊心を仮想的に確保しようとして、でも本人も仮想的だと理解しているので不安になって、ますます仮想的に強化して……みたいなスパイラル。実は家族の側もアンビヴァレントで、自立してほしいけど甘やかしたい、外に出てほしいけど世間から隠したい、っていう環境の縛りがあるという。
2016/05/06
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