チャタレー夫人の恋人 (ちくま文庫)
チャタレー夫人の恋人 (ちくま文庫) / 感想・レビュー
zirou1984
こんなにも面白いとは思わなかった。そもそも官能とは知性なくしては成り立たず、文化的抑圧の反動は必然的に批評性を伴ってしまうことを考えれば当然なのかもしれない。ここには時代や階級、洗練と野蛮、男女の間に広がる深淵をのぞき込んでいるようで、結局は薄汚れたマジックミラーで己の願望を眺めているに過ぎない滑稽さと矮小さが臆面もなく描かれている。軽蔑するものにその本心が読み取られてしまう逆説と、近代的であるが故に粗にして野なものにこそ美を感じてしまう不条理さをも取り込む本作は名作以外の何物でもない。身体へ帰ろう。
2014/12/12
壱萬参仟縁
1928年初出。11ページをみると、肉食系男子がまだいたんだと思える。52ページ辺りも朝ではなく夜読むものだと思える(笑)。本書は実は若い世代が読んでほしいものなのかもしれない。いたずらに学校でおかしな性教育をするよりも、本著を読ませた方が教育効果もあるのではないか。リアルな表現はあるにせよ。たまにまじめな(性的なものが散見されるため)描写で、「社会は狂っていて悲惨だった。文明社会は狂っていた」(187ページ)。レズについては405ページにある。愛のカタチはいろいろなものがあり、異性、同性、中性、と共存。
2013/02/13
ワイルドストロベリー
思っていたより読みやすかった。あまりに、あからさまな単語が、何度も出てきて驚いた。生きることは、動くこととか、哲学的な部分と、愛を語り合う場面とのギャップが凄い。
2016/10/08
yunomi
小説の後半、コニーの父親と猟番メラーズが初めて顔を合わせる場面で、私は羽賀健二と梅宮辰夫、アンナ親子の関係を思い出したのだった。羽賀健二と梅宮アンナの恋愛が取り沙汰された際、世間は「バカップル」のレッテルを2人に貼り付けたものだが、「バカ」が「反知性」を指すのであれば、コニーとメラーズも同様に「バカップル」という事は出来る。こうした「バカ」は、私達を縛る道徳や社会通念といったものを無視し、恋人同士だけが有する価値観に従って生きるが故に、良識ある人々を苛立たせる。
2014/01/21
くぬぎ
いわゆる《チャタレー裁判》の名が余りに高く官能小説の代表格のように言われているが、この小説の本質はセックス以上に、セックスをも内包する人間のプリミティブな触れ合いなのだろう。現在大学で、《身体知》をキーワードとして翻訳者の授業を受けているが、《身体》抜きの《知》でここまで闘ってきた身としては、価値観や概念がひどく揺さぶられる話が多い。翻訳者の解説本も必読。
2010/06/16
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