いつも夢中になったり飽きてしまったり (ちくま文庫 う 38-2)
いつも夢中になったり飽きてしまったり (ちくま文庫 う 38-2) / 感想・レビュー
踊る猫
植草甚一はDJなんだなと思った。自分からオリジナルなものを生み出すというより、手にした外部からの素材を自分なりに繋ぎ合わせてそこからなにかを引き出すという。だから膨大なインプットを必要としたのだろう。アウトプットしたいから無理やり書くということはなかった。だから、植草甚一本人が改めて言いたいことなんて極論すればなにもなかった、とさえ言えるのではないか? このエゴのなさ。膨大な情報の海に溺れそうになりながら読み、もちろんその博識に舌を巻くのだけれどそれ以上に彼の内的世界の恐るべき空虚さをこそ崇拝したく思った
2019/11/21
ヨータン
1970年代に新聞に掲載されたエッセイ。当時は海外に行ける人があまりいなかったので、このエッセイを読んで憧れた人も多かったのではと思いました。今の時代でもこの本に書かれているニューヨークの古本屋の話はワクワクします。
2021/03/05
Saku
散歩、読書、ジャズ、映画。 大量にインプットしてアウトプットする。 そのスタイルを勉強したい。
2016/02/20
フリウリ
真夜中の図書館電子書籍サービスにて。2000年代に生じた植草さんの復刊ブームで、だいぶ親しんだ口なのだけれど、この本では、往時の文化的気分は味わえるが、紹介されている本とかには、ほとんどそそられなかった。植草さんの文章は、熱量の大小が激しすぎるので、外れに当たると、どうともならない。植草さんにとっても、どうでもいいことだろうけど。3
2023/02/12
eri
JJの、街に関する文章がいちばんすきだ。
2013/12/08
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