聖女伝説 (ちくま文庫 た 78-1)
聖女伝説 (ちくま文庫 た 78-1) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
この小説の中を流れる時間、そしてリアリティのあり方は、本質的に他の通常の小説とは違っている。しいて先例を求めるとすれば、安部公房のそれが最も近いだろうか。小説は一貫して語り手である「わたし」の極めて主観的な一人称語りであり、それはもう妄想と呼ぶこともできるような性質のものだ。そして、そんな「わたし」の時間と空間に闖入し、揺るがすものたち。例えば鶯谷の存在がそれであり、また唐突に口を衝いて飛び出してくる聖書の言葉だ。それもなんだか怪しげな。また繰り返されるトロンボーンのソの音も終末を伝えるかの如きである。⇒
2016/11/26
ちなぽむ and ぽむの助 @ 休止中
わたしの口から飛び出した大切なコッペパン、あなたの為なんかじゃないのよ殺してしまいたい。腹のなかで第三者が繁殖する。流れでる眼球どうしようもなく女になるということ。きたないきたない。ふくらむ胸切り落としたい?ちがうそうじゃない。‹でも、聖者は同性の聖者しか愛さないことに変わりはないんですね。›精霊がわたしの口を使うの切り裂いて世界。耳を出して沼は血のいろ踊るアメーバ、分裂して。聖人なんて産みたくない。‹それじゃ、また、ごきげんよう›わたしは落下傘ですさようなら。美しい死体になんかなりたくないのです。制止。
2020/05/10
KAZOO
わたしは多和田さんの本はまだ数えるくらいしか読んでいません。しかも随筆中心なので文芸作品は「ボルドーの義兄」という実験小説のような感じのものだけです。これも読んでみてそのような印象を受けました。あまり難しい言葉などは出てこないのですが、読んでいて何かしらな今に読み終わったなあという感じでした。もう少し他の本も読んでみて再度読み直そうかという気になりました。
2016/04/18
take0
よく分からなかった、とも思う。大筋としては少女の9歳から高校3年までが語られているが、内容としては語り手の妄想とも迷妄ともとれるようなエピソードが綴られていて、或いは少女の心象のドラマなのかとも思う。意味不明で不条理な登場人物、頻繁に引用される聖書からの言葉、強調される血のイメージや身体的メタモルフォーゼに纏わる描写の多出、少女に纏わりつく不安感、不穏感。最後の最後まで明確な読みを逃れるかのようで、それらは総体としてではなく、ただ部分の連なりとして収まり悪く受け取るしかないものなのかも知れない。
2019/03/14
あんこ
さらりとおぞましく、とてつもなく静謐でうつくしいところに連れてこられた気分。美術を研究していたときに、避けて通れなかったキリスト教の知識がようやく役に立った。不快なのに、読む手を止められない。俗と聖の間で見えないものに抵抗していく少女を追う手を止められない。この物語を読むと、一気に俗から引き剥がされるきがする。
2016/03/30
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