おはよう、水晶-おやすみ、水晶
おはよう、水晶-おやすみ、水晶 / 感想・レビュー
ホレイシア
ここ何冊かかわいい装丁が多いのは御本人の希望なんだろうか。それはともかく、「文章」という戦う術を持ち存分にそれを発揮し得る笙野さんはやはりすごい人である。普通こういう私小説的な書き方のものは何冊か読んで飽きがくるのだが、この方の場合はご自身が刻々と進化を遂げておられるのでその心配はまったくない。佐藤亜紀氏が書かなくなっちゃった今、楽しく追いかけられる日本の作家はこの方だけだ。
2010/09/17
Roy
★★★★★ こんなにも彼女を突き動かしている感情はむしろ「憤怒」ではなく「哀絶」なのだと思った。先の「ドンキホーテ」に然り「文士の森」に然り、ただただ怒っているのだと誤認していた。世の中に権力者に時代に、「怒り」を暴力や金、人脈でぶつけているのではなく、「悲しみ」を自分の紡ぎ出す文字だけでぶつけているのだ。水晶は死なない、見限らない。なんだか、少し泣いた。
2009/01/30
あ げ こ
その水晶は、自らの身を、守るためのもの。怒りに、悲しみに、沈み込まぬよう、自らを保ち、力を、湧き上がる力を、集め、蓄えるため、そこに在るもの。すべてうつすよう、その内に、注ぎ込んだ思い。戦い抜く心に満ちた、熱も。音もなく、魂を奪い取るような、喪失の痛みも。すべて、注ぐ。淀み、傷つき、歪みさえ、吸い込み、それでも、水晶は、穏やかに、佇む。それは、壊れぬ強さを思わせる、静けさ。喜びも、安らぎも、内包するが故の、静けさ。自らを守り、強化するための試み、その穏やかさに、崩されぬ心の強さを思い、僅かに、安堵する。
2015/01/14
タリコ
著者の作品を読む際にいつも浮かぶキーワードは、「剥き出しの感性」。方法論は著者だけのものだから安易に共感も支持もできないけれど、その精神の動きにただただ見惚れてしまう。
2009/04/11
kenitirokikuti
図書館にて。『ちくま』2006年六月号から2008年六月号連載、08年12月に刊行。おおむね「だいにっほん」三部作の期間と重なる。年譜を読むと、「だいにっほん」のあと再度『群像』から干されたっぽい。同時期、おもにネット上で小谷野敦と論戦あり、それが2010年の小谷野『現代文学論争史』に続き…笙野がwebちくまに反論を書いたりするうち、2011.3.11があって、争いが立ち消えたわけではないが、次の局面に移る▲本書は2年間の連載なので、愛猫老嬢のエッセイと読めなくもない。
2023/06/15
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