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マインズ・アイ 上 新装版: コンピュータ時代の心と私

マインズ・アイ 上 新装版: コンピュータ時代の心と私

マインズ・アイ 上 新装版: コンピュータ時代の心と私

作家
ダグラス・R・ホフスタッター
D.C.デネット
坂本百大
出版社
阪急コミュニケーションズ
発売日
1992-11-01
ISBN
9784484921266
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マインズ・アイ 上 新装版: コンピュータ時代の心と私 / 感想・レビュー

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かんやん

第二次AIブームの頃にデネットとホフスタッターが編んだ、心と知能を探るアンソロジー。ボルヘスやレムのフィクションから、ドーキンスの利己的な遺伝子、チューリング・テストのオリジナル論文まで揃っている。「意識が実際にあるかどうかの問題に触れないでも、目的に動機づけられて行動しているかのように見える機械について語るのは優しい」と語るドーキンスと「機械は考えることができるかという問題設定は、議論に値しない」と語るチューリングは、認識を共有しているのである。進化論やテクノロジーが哲学に再考を迫るわけである。

2021/01/09

シタン

「私は誰なのか?」をめぐる知的な冒険。SF小説や論文からの抜粋と、それに対する短評という構成。この構成は『メタマジック・ゲーム』に似ている。 上巻では、ボルヘス、スタニスワフ・レムなどの他、チューリングの有名な『計算機械と知能』、ドーキンスの『利己的な遺伝子』などが登場。ホフスタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハ』『メタマジック・ゲーム』からの抜粋も。既読が3つあったので懐かしく読んだ。一方で読んだことのない作家のSFがとてつもなく面白くて、ワクワクした。科学的インスピレーションの源泉というのも納得。

2018/12/24

12章、脳細胞をばらばらにして外部から電気信号で興奮させればその脳は生きてるのと同じように何かを表象するだろうという仮定は信じられないな。神経系以外の細胞が腐る難病に冒されて脳を防腐剤に入れる手術を受けた時点で、その気立てのいい若者は死んでしまったのではないだろうか。脳細胞が代謝するのではなく古くなった脳細胞を入れ替えても同一性を保つかもよくわからない。というのを自分で突き詰めて考えていくと、自分がどんな信念を持っていて何なら受け入れることができるのかわかっていい。デネットの小説もあるよ、わーい

2013/03/20

roughfractus02

虚構と物語を分離すると虚構は現実の対義語でなくなり、物語と現実を覆う新たな概念としての心mindとなる。物語と現実はアイ(I/Eye)のスイッチングの効果であり、AIと脳の並行的な探求の領域となる。本書上巻はボルヘスやレムの物語とハーディングやチューリングの論文をザッピングする読者に、I/Eyeのスイッチングを通して物語から分離した虚構を心の概念への転換を促す。脳と身体を分離して遠隔操作すると身体が消え、培養脳とバックアップした脳情報のどちらが本物かと問う哲学者デネットの物語はその区別の境界を画している。

2017/06/17

ヘンリー八世が馬上試合で死んだことは内緒

イーガンの「ぼくになることを」「順列都市」の元ネタであろう論文が読めます。SFのネタって結構転がってるもんだな

2012/06/03

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