60年代の過ぎた朝 (アメリカ・コラムニスト全集 19)
60年代の過ぎた朝 (アメリカ・コラムニスト全集 19) / 感想・レビュー
Ecriture
『ヴォーグ』の記者を務めた後、エッセイスト・作家となったジョーン・ディディオンによる60・70年代アメリカのカウンターカルチャーに寄せたエッセイ集。ハリウッドスターやミュージシャンのビッグネームから隣人との些細なエピソードまで、当時のアメリカの雰囲気を幅広く伝えている。「沈黙の世代」と呼ばれるディディオンが語る「女性たち」という章が特に面白い。フェミニストへの辛辣な批判、ドリス・レッシング作品評、ジョージア・オキーフ芸術とマチズモなど。「60・70年代文化の研究に多大な影響を与えた」名著。
2012/09/12
茶幸才斎
謎である。あろうことか、筆者の意図も汲めず、共感も湧かない。筆者自身の精神分析カルテの開陳に始まり、さる司教の来歴、空き家のカリフォルニア州知事公邸、女性運動への違和、ハワイの戦没者墓地、遺伝性の偏頭痛、ショッピングセンター論、マリブー沿岸救助隊の日常等々、筆者の身近な暮らしと関心にまつわるエッセイ集。理解が及ばないのは訳文に問題があるのか。地理的にも時代的にも私に筆者との接点がないからか。本書をやむにやまれず手に取った20年前の私だったら、あるいは本書の一部からでも何かを感じ取ったのだろうか。謎である。
2019/01/16
tamaph
彼女の俯瞰的視点が面白い。都市をインフラから見ることに安らぎを得るというのは、あの砂漠の中に突如として現れる巨大都市が、壮大な人為的制御の賜物として存在している、その制御への憧憬と敬意の表れか。無法の大地が母ならば、その制御は父的な様相を得る。けれど父の愛も長くは続かないことを無意識のうちに知っている。故に不安な相貌、とか言われるのかもしれない。女性的オイディプスのその先、翻弄されながらも冷静であろうと自律するその視点は、確かに不安定さを感じる者もいるのだろうが、私は常に彼女の視線の側にいたいと思う。
2017/05/21
ロピケ
アメリカの60年代後半から70年代にかけての時代を切り取ったエッセイ。キャリア・ウーマンとしての華々しい活躍をしながらも、不適応症状が現れ始め、そんな本人の気持ちが発生源となったかのように、これまで住んできた高級住宅地に異変が現れ始めて…と、ちょっと出だしがミステリーのよう。タキの『ハイ・ライフ』とも重なる部分もあったり、カリフォルニア、ハリウッドという土地柄も滲む。レーガン(ナンシー夫人も)はその頃、こんな所にいたんだ!と久しぶりにその名を目にしてちょっとびっくり。
2012/11/23
Ky
やや難解ではあるがとても読み応えのある本。「女性たち」の章が良かった
2023/04/23
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