探偵小説は「セカイ」と遭遇した
探偵小説は「セカイ」と遭遇した / 感想・レビュー
ばりぼー
「容疑者Xの献身」論争。「容疑者Xの献身」は難易度の低い本格である。この作品が変形された倒叙=叙述探偵小説であり、その形式さえ踏まえるなら、初歩的な読者以外は物語の前半で真相を見抜くことができる。私は109頁までで真相を特定した。これを傑作として評価しがたいのはたんに論理パズルとしての水準が低いからではなく、探偵小説的精神が形骸化しているからである。感動症候群にとりつかれ「泣ける話」を麻薬のように求め続ける読者を対象に、その態度を追認し合理化するだけの小説は、探偵小説の精神を喪失した抜け殻にすぎない。
2014/08/13
Ecriture
探偵小説史の整理人。奈須きのこや西尾維新らに対する読み、反応としては最も冷静で興味深い議論がなされていると思う。東野圭吾『容疑者Xの献身』にミステリ界からこんな大論争が巻き起こっていることは知らなかったし、各論者の奮闘ぶりも興味深く読んだ。ただし著者の「二十世紀探偵小説の精神」がどうのこうのというこだわりには、やはり私も共感することはできない。ここのコメント欄見ててもやっぱりという感じ。探偵小説が20世紀精神や21世紀精神を宿さなくてはいけない云々と言われても……。
2012/01/17
ぐうぐう
本書を読んで、いわゆる『容疑者Xの献身』問題の全貌が理解できた。笠井の『容疑者X』批判は、彼が主張している20世紀精神から生じた探偵小説という観点からあまりにも薄弱な存在としてあるはずなのに、それを本格ミステリ界が諸手をあげて評価したこととの差異にある。そこに脱格系やセカイ系の台頭も絡んできて、笠井の厭世観はピークに達し、ついに『容疑者X』により第三の波は終結したと唱えるに至る。さすがにそれは言い過ぎな気もするが、笠井の心境も理解できる。中でも「ホームレスが見えない」説は、「実におもしろい」。
2009/07/14
いちはじめ
ミステリ評論集。笠井のいう「脱格系」を論じたもの、「容疑者Xの献身」論争、その他の小論の三部構成。三分の一を占める「容疑者Xの献身」批判は、やはり無理があるのではないか。この人の悪い癖で持論の批判にはむきになって論破しようとするのが裏目に出ているように感じた。
2008/12/16
ハイザワ
戦争により匿名化した人間の大量死という衝撃を探偵小説が反映しているという前提のもと、その死の匿名性に対抗してきたのが20世紀の探偵小説であったという笠井の探偵小説観がよく分からない(匿名の死への対抗、という論点が謎)ため、『容疑者Xの献身』論もいまいち腑に落ちなかった。結論は笠井自身の探偵小説観にそぐわない読みをしている評者はおかしい、というものであり、自分の主張が無限極大的に適用されるはずだということを疑っていないという点で、「セカイ」と遭遇したのは笠井潔本人だったということになってしまうように思う。
2018/01/20
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