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ジョイス論/プルースト論: ベケット詩・評論集

ジョイス論/プルースト論: ベケット詩・評論集

ジョイス論/プルースト論: ベケット詩・評論集

作家
サミュエル・ベケット
Samuel Beckett
高橋康也
川口 喬一
岩崎力
片山昇
楜沢 雅子
安堂 信也
出版社
白水社
発売日
1996-07-01
ISBN
9784560045985
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ジョイス論/プルースト論: ベケット詩・評論集 / 感想・レビュー

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袖崎いたる

ベケットの詩やら評論やら。ホロスコープが目当てだったけれど、評論のほうがグッサリとベケットだったかな。この人の書きかたってほんまに独特で、訳者の高橋康也あたりはベケットが書いてたのは常に詩だったと言ってのけるのも宜なるかな。ちょっと読むと言い回しにつんのめってしまうんだけど、よく考えたらニーチェもショーペンハウアーも宮台真司もわりとそういうところあるよなぁと思い直してみたり。詩と戯曲と批評の書き方が同じなんやないかって思うよね、パッと見。一番読みやすいのはモロイからの三部作かもしれんぞ(笑)

2021/06/03

hiro

この本のジョイス論は後の「フィネガンス・ウェイク」となる作品の「進行中の作品」に関してだった、僕はジョイスを「若い藝術家の肖像 」「ダブリナーズ」「ユリシーズ」と読み進めて、特に「ユリシーズ」の各章が全く異なる文体で書かれている"文学"そのものへの挑戦に驚き、最後に柳瀬尚紀訳「フィネガンス・ウェイク」を読もうとしたのだが、1ページで断念・・・このベケット評では、この本はダンテ「神曲」のようにジョイスの新しい文学言語そのもへの挑戦であったと・・・

2020/03/08

roughfractus02

いかにしてモナド間に予定調和にもたらすのか?作者はその答えを保留し、モナド「X」と「ホロスコープ」の対決に問いを移す。確かに、ダンテの「浄界」の円錐構造やジョイスの「最高地点」なき「球体」構造は、形式と内容の一致する調和へと向かう。その一方、プルーストの人物たちはモナドを徹底し、偶発的救済へ向けて自らを時間の犠牲に供する。窓のないモナドは個人でも超個人でもなくその結合法によって宇宙を創るが、この時計仕掛けの閉じた宇宙で偶然とは何か、という問いを導き出す作者はそこに、永遠とは何かという問いを重ねようとする。

2017/07/30

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若い頃のプルースト論だけでなく、絵画論がとても面白い。「表現すべきなにものもない、表現すべきなんの道具もない、表現すべきなんの足場もない、表現する力がない、表現しようという欲求がない、あるのはただ表現しなければならぬという強制だけ」

2021/12/27

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