郊外へ (白水Uブックス 1047 エッセイの小径)
郊外へ (白水Uブックス 1047 エッセイの小径) / 感想・レビュー
翔亀
著者30才の処女作。語学雑誌「ふらんす」に連載され、地名や本邦未紹介の作家が頻出して、正直、仏文門外漢の私には難解で敷居が高かった。が、そういう固有名詞を抜きに評論ではなく読めてしまうのが、後の小説家堀江を彷彿させる。表紙に「エッセイ」とあるが、あとがきには、登場する「私」とその周辺の出来事は虚構であると明記されているのだ。「私」がパリの郊外を歩き、怪しい商売に巻き込まれる仏ノワールのような描写は小説として楽しめたが、しかしやはり、この本の真価は、仏作家論/郊外論にある筈でその面の感想は他日を期したい。
2014/05/07
しゅん
堀江敏幸が作家の暦の開始からすでに堀江敏幸だったことがわかるデビュー作。パリから郊外へと足を向けて死角に眼を凝らす指向性が、現実と虚構を曖昧にしながら手触りだけを確かに掴む感じが、この後の堀江作品にも貫かれた特徴。ただ、どこか生真面目な文章や、若者活劇風の話の筋には若さが漂い、全てが行き届いているようなその後の文章にはない硬さを感じられる。むしろそこに好意を抱いたりもする。アラン・ドロンを巡る話がなかなかに味わい深い。
2019/09/02
つーさま
パリの中心部から少し離れた郊外。そこには他者の視線を巧みにかわし、へりへと逃れた誘惑が息を殺し潜んでいる。堀江さんは郊外に魅了された一人としてその魅力を語ると同時に、同様に郊外に心惹かれた作家たちの影を追う。そのせいか、彼の描く郊外の光景に、ドワーノやモディアノらの描くそれが重なり連動し、そうして立ち現れてくる像には奇妙な厚みとズレが生じ、虚と実との間にいるような不確かな感覚を覚えた。しかし、あくまでもその感覚は、不調和を意味するものではなく、不思議とバランスの取れた、いわば心地よいものなのだ。(続)
2013/06/23
くるみみ
去年根津の古本屋さんにて購入。雑誌連載もので尚且つ堀江氏デビュー作という一冊。最後の一篇を除きパリに留学中の「私」が出合う人々や出来事や風景から「郊外」をキーワードとして小説や絵画、映画について思い巡らす、というエッセイ風の小説。どうしても「私」を堀江氏と思ってしまうけれどそれでもいいと思う(断言)。取り上げている映画や小説を検索しても出てこないものもあるから全て虚構?と思う瞬間があり、知らなかったパリ郊外に対する畏怖と重なった。アラン・ドロンの生い立ち(トリュフォーも!)や黒い事件も知らなかった。。。
2019/10/26
ニクロム
「本当に面白いものは中心ではなく、『へり』にある。中心から目を逸らす行為にこそ快楽がひそんでいるのだ」という性癖を持つ堀江さん自身が「私は権威と名のつくものが嫌いだ。おのれの非力さを前提としたうえで、人の上に立たず、上からの圧力にも屈しない、場当たり的な生きざまをよしとする」人であり、中心のコードを拒んで「へり」を歩く人だ。自分にフランスの郊外について知識があれば、郊外の美しい描写をもっと楽しめただろうにというのが惜しまれた。
2016/11/03
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