パウル・ツェラン詩文集
パウル・ツェラン詩文集 / 感想・レビュー
fishdeleuze
ツェランの作品集から詩の抜粋、ならびに詩論集(講演録やアンケートに答えたものなど)を編んだもので、編集のコンセプトはafter 3.11とのこと。強制収容所における極限状況を通り抜けたツェランの言葉は、最初よくわからなかったのだが(今でもわかっているとはいえないのだが)、そのバックグラウンド(極限状態を通り抜けたこころ)を詳細な解説で読み、ふたたび本をめくり詩を何度も読み返すうちに、すこしずつからだに染みこんできた。安易な同化を拒むような力強さと、晩年に近づくにつれ詩が祈るように響くように思え、また捲る。
2015/10/06
三柴ゆよし
詩、詩論、散文の三部構成からなる作品集。饒舌の背景には言葉を信頼できなかった者に特有のイロニーがあるが、沈黙の内奥には生まれ出ることのできなかった言葉たちの地獄が存在する。そうしてまた、一片の言葉をも生み出すことができず、埋葬された者たちがいる。ナチスの収容所を経て、詩作を重ね、セーヌの流れに身を投げたドイツの詩人について、私は多くを知らないが、語るべき言葉を持たなかった者にかわって、語られなかった言葉を語った詩人の、現実に対する絶望と、言葉に対する希望の声は、たしかにすくいとることができたように思う。
2012/07/03
長谷川透
重い音色、ツェランの綴る詩の言葉は鋭く読者に刺さるというよりは、得体の知れぬ鈍器で躰を殴られて痺れ震える(しかし、躰のどこを殴られたかは見当つかぬ)ような感覚を得た。たった一つの言葉であっても、その背後には、「語らないこと」と「語ること」の鬩ぎ合い、又、それ以上にアウシュビッツに散った数百万人の「語ろうにも語れなくなった者たち」の声を孕んでいる。著者もアウシュビッツに収容され、絶望の淵を生き、恐らく些細なことが契機となり生き残ることができた。そして同時に彼は散った仲間たちの声を背負って詩を書き続けたのだ。
2013/04/15
Bartleby
石原吉郎と同様、収容所体験を潜り抜けてきた人間の言葉が、以前のままでいられるはずがない。美しいだけでいられるはずもなく、陳腐な醜さでさえ、いまはまだ美の範疇に入る。文法は歪み、メタファーは引き裂かれ、言葉が出血する。パウル・ツェランの詩を支配しているのは圧倒的な沈黙だ。おそる、おそる、紡ぎ出された言葉はむしろ、沈黙の深さを測るために投げ入れられた、単なる小石でしかない。
2022/10/21
zirou1984
20世紀ドイツ最高の詩人と呼ばれ、両親をナチスに奪われたルーマニア出身のユダヤ人、ツェランの代表詩篇と詩論を編纂した「2011年、喪失を経験した人達に」向けられた詩文集。切り詰められた言葉の難解さは喪失を受け入れることの困難さそのものであり、それは理解できずとも鎮痛剤の様に解きほぐすことが困難な痛みを鎮めてくれる。「もろもろの喪失の中で、ただ『言葉』だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました」この言葉が、本当に必要としている人たちへ届いてくれればと、そう、強く願わずにいられない。
2013/02/24
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