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内なる近代の超克: 日本人として、如何に自らを語るのか

内なる近代の超克: 日本人として、如何に自らを語るのか

内なる近代の超克: 日本人として、如何に自らを語るのか

作家
福田和也
出版社
PHP研究所
発売日
1993-07-01
ISBN
9784569540450
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内なる近代の超克: 日本人として、如何に自らを語るのか / 感想・レビュー

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mori-ful

1993年。日本にとっての近代を、個人の経験を手掛かりに問う評論。「父の「家」」や「岸田劉生と独創的日本人」が良い。戦後を生きた父の建築熱。自宅の絶え間ない改築増築。それはすべて「必要」なものだった。これを戦後日本(近代日本)のあり方と重ね合わせている。「われわれにとって、生きることは、無限の改築にほかならない」洲之内徹は浦安の埋立地をみて「暫定的な荒地」と書いた。「私たちには、荒地さえ、「暫定的」なものにすぎない。荒廃や不毛ですら、「暫定的」なのである」父親についてもっと書くべきだった。

2024/09/25

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