親鸞 (平凡社ライブラリー)
親鸞 (平凡社ライブラリー) / 感想・レビュー
nbhd
親鸞さんは只々念仏を唱えればよいと言っていたけど、ならば体を意のままに動かすことができず、念仏申すこともできない水俣病患者はどうなるのか?石牟礼道子さんはそんな重い問いかけをしているように感じた。水俣では、情愛が深いことを「ぼんのう」と言うらしい。海が好きとか猫が好きとか、それは、しぜん、人が持っているものだという。親鸞さんは煩悩ありきで「信」に至ったけど、水俣病は”あって当然の煩悩”まで奪った。「生身の煩悩を水俣病になってしまって、途中で断ち切られる。」この問いかけもとても重い。
2016/11/13
ryohjin
鹿児島県出水市の寺院で行われた親鸞をテーマとした講演会をまとめた本。石牟礼道子さんもお話されています。幼少の頃から出会ってきた貧しい人々の生活にふれ、他のところに出かけることはかなわずお寺に「お寺着物」というとっておきの着物で通う姿が語られ、衆生(大衆)は「宗教の中に知識ではいってゆくようなこと」はせず「荷っている悲愁」を生きるのみであり、教義教学を含むお経をありがたいとだけとらえるのはそうした人たちの直感であるとみます。石牟礼さんの人々の苦しみや悲しみを引き受け発せられた慈愛の言葉に心うたれました。
2023/06/07
belier
3人の識者による親鸞についての講演。「わが心のよくて、ころさぬにはあらず」という歎異抄の言葉は好きだが、それを『罪と罰』のラスコーリニコフとつなげて論じた人がいた。彼は殺人を犯した意味をわかっていなかったが、あるとき、シベリアまで追っかけてきてくれたソーニャを見ていたら変化が起こる。たしかに回心と言える場面で感動的だった。石牟礼道子は、親鸞の言葉を引いて、流された先の土地で自然とともに生きている民を見て、彼は開眼したのだろうという。水俣の漁民と触れ合い、彼らの語りを極上の文学に昇華した人の魅力的な見解だ。
2024/04/09
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