のろとさにわ
のろとさにわ / 感想・レビュー
ネギっ子gen
社会学者が「詩人と散文で対抗しようなどと、おそろしく無謀なアイディア」を思いつき、「彼女は詩を書くしかとりえのない人だから、彼女に詩を書かせなさい。わたしはワキにまわるから」と、『太陽』で連載を。詩人の方は「ほんとうにうっとうしかった。いなけりゃいいのに、と何度も思ったことか。上野さんは詩が好きだ。わたしは詩なんか大嫌いだ」と。如何にもです。詩人が『意味の虐待』で「切り裂かれて血まみれの意味はきっとみじめでうれしい」と書けば、詩の解釈者は「沖縄では巫女のことをノロと言う」と。で、学者は審神者(さにわ)也。
2020/01/13
りー
民俗学的な本を期待して手に取ったので、ちょっと面食らいました。こっち系だったか。伊藤比呂美さんの詩(のろ)と上野千鶴子さんの散文(さにわ)、一対から構成されています。内容はざっくり言えば、昭和の香りがするフェミニズム。当然、性的なイメージが多く、うーん、ここから目をそらしてはいけないのか、と、ため息をつきたくなりました。いや、彼女達の戦いの末に、昭和の空気に溶け込んでいた男尊女卑は少し薄くなったのかもしれませんが。せめて「のろ」の言葉だけをそのまま読みたかった。疲れました。
2020/02/03
夕月
上野千鶴子さんの言葉が好きだ。よく噛んで味わうのだけれど、毎回違う味がするような、あいまいさは一つもない。それでいて考え深い。伝えるための言葉がこんなにも出てくるのかと思ってしまう。「集団の同調性を測るために、何も踏み絵のような仕掛けはいらない。一緒に笑えること、それだけで判断は十分だ」「笑いの同調性はもっとこわい。同時に笑えるかどうかで、瞬時に「われわれ」と「かれら」が識別されてしまう。」
2016/02/15
FK
「分からない」詩の数々。だから、この本は「現代詩になじみのない読者のために「お取り次ぎ」をやろうと、無謀な役を買って出た」(P.176 上野)とのこと。成功しているかどうかは読み手による。私はそのとてつもなさに戸惑っている。伊藤氏は言う。「それはたしかにわたしの詩だったのだけれども、わたしが書こうとたくらんで書いた詩ではない。いつのまにか、書いてしまった詩なのだった。」(あとがき)。作品は作家の中からほとばしり出るもの。その時に何か別の切っ掛けがあれば、それはまた違った様相の作品として姿を現すのだろう。
2018/02/05
a_ma_ri_a_ma_ri
「のろ」巫女の詩、と「さにわ」それを取り継ぐ散文、それらが交互に書かれている。何とも難解でちょっと怖くて生々しくて気持ち悪くて、でもなんだか人の生死…というより生の方かな?死と書いててもそこには生々しい生を感じる、そんな詩の世界観。性を描きつつ、「まだ産みたい。」とか、性の向こうにある女が子を産み乳を与える、そういう一連の人間の営みの流れとか、本一冊の中にそんな世界がたっぷりとぎゅっとつまってる。一文一文理解しよう、というよりこの世界に浸かる、そんな気分で読んだ。
2022/09/04
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