新書884新版 死を想う (平凡社新書 884)
新書884新版 死を想う (平凡社新書 884) / 感想・レビュー
いつでも母さん
お名前は知っていた。『苦界浄土』読みたいと思いつつ未だ・・追悼 石牟礼道子さん。やっぱり凄い。人としてというか、『自分』の芯があるのだなぁ。ぶれない。死はちょっと葦の葉に腰掛けて・・だそうだ。おトイレに行けなくなった時が境界線とか・・解説のかわりの献詩がまた凄い。そしてあとがきの最後に伊藤さんの増補があって、ちょっとぐっときた『生きてる人と死んだ人の間を生きてたような人だった』にずんとする。この国を『死相を浮かべた国』と表した石牟礼さん、今生をお疲れ様でした。ー合掌ー
2018/09/14
どんぐり
平凡社新書として2007年5月に刊行された対談の内容に、「詩的代理母のような人」他1篇を収載して、石牟礼さんが亡くなったあと新版で刊行された本。「この次、おいでるときは、私たちはおりません。お名残り惜しゅうございます」と五島のおばちゃんのことを語っていた石牟礼さんに、比呂美さんの「もう会えないという事実に、ただ涙がとまらない」と別れを惜しむ言葉が重なる。みないつかは死ぬ存在だけど、それがいつなのか結局死ぬまでわからない。大切な人に「今度会えるときまで生きていてください」と思わずにはいられなくなるだろう。
2020/09/14
ネギっ子gen
「なんとなく死の淵をのぞきこんでいるみたいなおだやかな、ゆるやかな、老いの果てに、すばらしいもの」を書く『苦界浄土』の詩人と「家族たちを小脇にひっ抱え、デリケートな陽気さで、変容ただならぬ俗世に詩的なぐりこみをかけ、陣中突破」してきた「甲斐性」ある『とげ抜き』の詩人が、「死とは何か」を語り合う。<石牟礼:私『故郷』を歌うと、もう、すぐ泣いちゃう。伊藤:私も。あれは泣けます。「菜の花畑に入り日薄れ」ってある。あの2番が好き。「蛙のなくねも、鐘の音も……」あれ、全部「も」なんですよ、あそこが好き>。いい話だ。
2019/12/17
chanvesa
石牟礼さんのお母さんが学校に行かなかったことが心残りで、そのため読み書きができず、「行っておれば、書いて加勢する」(103頁)と言っていたというところは、読んでいて涙が出そうになった。強い親子関係、どんなにお母さんはつらかっただろう、石牟礼さんがお母さんの思い出を聞かれて真っ先にこの言葉をあげたこと。直接関係ないけれど、私の祖母が高等小学校を出たが当時では珍しかったと自慢していたこと。いろんなことが頭に浮かんできた。随所に石牟礼さんの語り口が沸き上がり、「花の億土へ」で観た様子や声のトーンが蘇る。
2018/08/01
きいち
何度も読み返す。◇今日は義父の法要。きみょーむりょーじゅにょらいー、石牟礼さんが子どものころから唱えていたという「正信偈」を歌う。お参りいただいた筑後の伯母と話ししたおかげで、石牟礼さんがお母さまの語り口を真似てるときの言葉がそのまんま頭のなかで再生されるようになる。「そぎゃんしたことは、いっさい、この人が知っとったですばってん」…。◇父も母も「最期まで生ききっていた」まだまだこの世に用があって。何度も引かれる「梁塵秘抄」の世界観と重る。◇ものを書くことは、人さまの分も束の間ちょっとお借りして生きること。
2018/09/08
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