ペンギン村に陽は落ちて (ポプラ文庫 た 3-1)
ペンギン村に陽は落ちて (ポプラ文庫 た 3-1) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
高橋源一郎の小説は初読。ポストモダンの旗手とされているが、正直なところ評価が難しい。タイトルのペンギン村が鳥山明のDr.スランプの舞台だということすら知らなかった。本書には、その漫画の登場人物たちをはじめ、サザエさんやドラエモン、ウルトラマンやキン肉マンの一家などが華やかに登場する。ポストモダンという言葉には何かダダイスティックでアナーキーなものを想像していた。しかし、ここで既存のキャラクターを用いて語られる小説が提示するものは何なのだろう。破れかぶれのアナーキストのような趣きは確かに感じられはする。
2017/12/03
うりぼう
内田樹先生が、「高橋源一郎は、出たら即買いだ」と書いていたので、初めて読んだ。「ひらばー」さんのコメントを読むと、この手の系統のようです。本は、解からないから面白い、多様な評価・解釈ができる本が面白いとすると、いい本です。最近、お説教くさい本、人生を語る小説が多いですが、そんなの関係ね~と夕焼けに向って叫ぶ本の方が私は好き。私は、ペンギン村の短編よりも、前振りの父と子の会話、母のからみの方が面白かった。できれば、エンディングでマリ子先生の勇姿が見たかった。ペンギン村では、やっぱ栗頭君の苦悩と悟りに一票。
2010/10/26
mika
今まで読んできた小説の中で類を見ないぶっ飛んだお話しというか、奇想天外というか、辛口で申し訳ないのですが「失笑」以外の何ものでもなく、私には合いませんでした…。お馴染みのなつかしいキャラクターたちがどのように姿を現すのかと思ったら、原形が残ってないくらいシュールな役どころとなっていて…。もはや私の脳ではおいつけないのが現状です…
2019/04/24
田氏
この『しょうせつ』は、テレビを見ながらただ手を動かしていたものだ。なぜなら、『序文』にそう書いてあるから。もし『序文』に「はんらん」とあったならこれは「はんらん」だったろうし、「ぽもぽも」だったのかもしれない。この『かんそう』も、本を読みながら、あったものを書き出したものだ。寂寥感。閉塞感。Uターン。落ちて沈むだけの斜陽。エントロピー増大則。田園都市線性。JCBカード性。読書論。中島みゆき。夢。過去からも未来からも切断された場所。塞ぎようのない穴。『……』。嘆き。営み。澄み切った朝。名前。「しょうせつ」。
2022/05/17
ちぇけら
「男たちが欲望を感じるのも無理はないわね。決して、責めたりはしないわ。こんなに魅力的だったなんて」とサザエさんは言う。北島マヤは『同時代カンガルー』の演技をし、「もみもみ」「たまきん」「しゃぶしゃぶ」とケンシロウが言い、ドラえもんは「マスターベーションもせんくせに」と罵られて襲われそうになる。それでもペンギン村に陽は落ちるのだ。ゲンイチローさんの書く《わからなさ》を堪能した。
2018/02/10
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