([と]1-2)あん (ポプラ文庫 と 1-2)
([と]1-2)あん (ポプラ文庫 と 1-2) / 感想・レビュー
鉄之助
もともとは小説家になりたかった千太郎と、国語の先生になりたかった徳江。だが、人生はままならない。ともに「人生のある時期、自由を奪われ塀の中で生きた」経験を持つ二人だからこそ、言葉で話さなくても通じ合う気持ちがあった。いろんな差別や疎外感…孤独と向き合いながら、その場所で確かに生きている人間ドラマ。ドリアン小説の傑作だった。
2019/12/14
小梅
まず文章が読みやすいですね。私が20歳の年に父の勤める会社の社宅から東村山市の建売住宅の一戸建てに引っ越しました。「全生園前」バス停からすぐの場所です。正門から一番奥、反対側の位置にハンセン病資料館があります。まさにこの作品の舞台です。ハンセン病について薬剤師の従兄弟(母の兄の子)に問い合わせ、この時点で進行も感染もしない病気である事を知り購入を決めたのです。実際にらい予防法がか無くなっても戸籍から抹消されてて帰る家が無いとの話しを聞いてました。この作品の最後、強制的な断種…もう号泣でした。
2015/07/24
nobby
映画予告から気になっていた作品。さえない中年男が売るどら焼き、そこに一人の老婆が“あん”に手を加えて評判が一転も、哀しいかなもう一つの事実によってその喜びは長く続かない…その要因として描かれるハンセン病、ここにもまた人の無知や勝手な思い込み・偏見といった怖さが表れる。こうあるべきと思う意識と実際に関わっての感じ方の違い、福祉を仕事とする自分も戸惑うことも多々ある。ラストの手紙で徳江さんが説く「生きる意味はあった」に涙こぼしながらも優しくホッとする読後感。
2016/05/03
ハイランド
私事になります。生まれ育った家は、療養所から5キロほど離れた処にあり、母がそこに勤めていたこともあり、子供の頃はよく遊びに行ったり、収容されていた患者の方が庭の手入れに自宅に来たりと、鼻が崩れていたり指が変形したりしていましたが、身近な存在でした。しかしいかんせん子供のこと、その哀しみまで感じることは出来ませんでした。ある日宣告されたが最後、家族からも離れ、外界からも切り離され、職業の自由や住居選択の自由も全て奪われ、一生を園の中で生活することを強いられた人達がいることを想像してください。50年も前の事。
2016/05/14
またおやぢ
人の世は不平等で、理不尽なことや、如何ともし難い出来事で溢れている。然るに、世界は常に自分と共にある。自分の存在こそが、世界を成立させていると言い切っても傲慢ではない。目を凝らして観る、耳を澄まして聴く、鼻を鳴らす、手で触れる、舌で味わう…世界は、自分が五感を使い感じることで初めて生まれる。そして、その世界に意味を与えるのも、また自分自身なのだから。自身を虐げて生きる事の虚しさや愚かさを知り、命を使い切る事の有り難さに気づくと、不思議と心が穏やになった。生まれた事、生きている事への感謝を素直に感じた一冊。
2016/02/11
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