夏の終わりのト短調 (白泉社文庫)
夏の終わりのト短調 (白泉社文庫) / 感想・レビュー
ぺったらぺたら子
折口信夫を読みつつ、何となく連想で『あまのかぐやま』を読みたくなった。不穏な「まれびと」が訪れて何かをもたらしていく、現状的な何かを壊していく、という発想が表れていると同時に、異種のものが繋がり、異空間を跨ぎ、越えていく。折口の発想と著者の作風はその様に繋がると思う。単なる学園ものコメディでありながら、ここにあるヴィジョンは凄まじい。和歌は人の意識へ浸透し、共振し、時間や空間を超え風景と自己との距離を消滅させる表現であるという、その在り方を表現したものなのである。何度読んでもうっとりと、ねむたくなる。
2020/06/30
更紗蝦
「オトナ側」と「コドモ側」の隔絶がはっきりしている作品が多いなぁと感じました。「コドモ側」は「オトナ側」を見透かしているのに、「オトナ側」は「コドモ側」をまるきり理解していないという状況は、あたかもその二つの間の壁がマジックミラーでできているかのようです。ただし、『夏のおわりのト短調』の力、『赤すいか黄すいか』の瀬戸内、『裏庭の柵をこえて』の信、『あまのかぐやま』の根木のような、十代後半~二十代前半の男性キャラクターは、「オトナ側」と「コドモ側」の中間の存在として位置付けられています。
2015/12/31
sige***
子供の頃、母が唯一マンガで読むのを許してくれたのが大島弓子だった。小学生の頃読んで感情が高ぶりすぎて眠れなくなったことを思い出しながら再読。やっぱり今夜も眠れそうにない。。儚い再生と終わり物語。
2008/10/06
阿部義彦
たそがれは逢魔の時間、が圧巻、表題作は、豆腐屋二平の出し方が安易すぎて、いまだに、なんか好きになれない。あまのかぐやまの、ねぎ先生はいいキャラですね。
2015/04/30
wasabi
解説の「少女とは、大島弓子を理解し得るもののことである」を読みちょっと安心。俺が大島弓子をよくわかんねえなと思いながら読んでるのは、少女じゃないからだ(おまけにもう一つ、男が女ではないのは生理がないからだ)。少女という幻想を中年男性というフィルター越しに見た「たそがれは逢魔の時間」がとってもエロく面白く感じたのも、そのあたりが理由だったりする。
2014/11/26
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