パリの廃墟
パリの廃墟 / 感想・レビュー
兎乃
個人レベルの 身内の 祖母の 思い出とか 哀しみとか 笑顔とか ちゃんと引き受けて この “夏”を乗りきろうと、言葉にしない嫌悪も 小石を飲み込む沈黙も 引き受けて 静かに 孤心を身につけて 人に 物に なにものにも 美しさを見出せる そのような気持ちで 絃を 墨を 数を 抱いていこうと。一心に読み 朝が来て 蝉がないて、もう 大丈夫と思った。励まされたわけでもなく 説教をくらったわけでもなく ただ 同じ速さでの逍遥。またね、って感じで頁を閉じて また 読む。傍に。
2015/08/12
ぞしま
詩的散文、時々、詩のようなのだが全て「詩」だと思い読んだ。リルケの『マルテの手記』ぽいかなと思ったが、こっちの方がもっと色があるし、具。 見えているものとその動きが〈内的心象〉を形成し、思念的な断片は未結実に中座し、空間をうねらせ/膨張させ、解決に向かう。斯かる緊張と弛緩の(確信的?)手法は(著者に深い馴染みがあるらしい)ジャズの進行に酷似している。 〈意識の奔流〉は不穏なテンションノートのように胸に突き刺さったり、ため息が出るほど美しかったり。似たダメな詩は沢山あると思うが何か決定的に違う。別格な佇まい
2020/08/23
ぱせり
著者は、パリ市内や郊外の崩れかかった廃墟を散文という形でスケッチする。搾取する人々、瓦礫に息づく植物、その上に広がる空・・・。華やかな市街よりももしかしたら、ずっと素直で美しいパリ。そして、訳。著者と訳者は同一人物(のわけないのはわかっていますけど)と言われても驚かないくらいぴったり。訳者あとがきもいいです。
2010/03/01
ぽち
図書館で閉館ぎりぎりまで粘り急ぎ足で通読、そんなふうに読む本ではなかったなあ。「一階でも二階でもない夜」の中でも言及されている、堀江先生翻訳による本書。公園の端で、市場へと向かう道端で、うらびれた駅で、開発を待つ空き地で、夜が迫る時間曙光の気配を感じる時間、孤独と対話、諧謔とアイロニーを漂わせ散文に変転する、そこに「旅」「食」「遊戯」「他者」などのお題目はなく、詩人の感性で切り取られた情景。帰り道、人工的な銀杏並木と巨大な団地群にて。・・・この本絶版なのかあ・・・。
2014/11/07
愛玉子
完全に翻訳者の名前で手に取った作品だったが、良かった。詩人が自転車とバイクの中間のような、ゆっくり走る二輪の乗り物で散歩しながら詩のような散文で描き出すパリは、色鮮やかで美しい。空の色を表す形容詞がこんなにあるとは。
2010/02/04
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