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ビリー・ジョーの大地

ビリー・ジョーの大地

ビリー・ジョーの大地

作家
カレン・ヘス
Karen Hesse
伊藤比呂美
出版社
理論社
発売日
2001-03-01
ISBN
9784652071939
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ビリー・ジョーの大地 / 感想・レビュー

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どんぐり

1934年1月に始まり1935年12月に終わる散文詩形式で綴られた少女の日記。大恐慌後のアメリカ中西部のオクラホマ。干ばつと強風がダストボウル(砂嵐)となって農地を襲う。麦を育てても、不作に終わる。砂嵐は農民たちを完膚なきまでに打ちのめす。借金が膨らみ、貧富の底に沈んでいく。スタインベックの小説『怒りの葡萄』の時代背景と重なる。灯油のバケツをストーブの隣に置いていなかったら、ビリー・ジョーの母親は火傷を負って亡くなることもなかった。生まれてくるはずの弟も生きていたはず。→

2023/12/18

Tui

麦を植えても、干ばつと嵐に襲われる。部屋の中にまで土ぼこりが入り込み、テーブルの上にさかさまに置いておいた皿とコップをひっくり返すと、くっきりと輪の型が残る。そんな1930年代のオクラホマに生まれ育った、14歳の少女ビリー・ジョー。音楽を愛し、ピアノの腕前だけが未来への希望だった。ある出来事が家族を襲うまでは。詩のような文体で書かれているのは、10代の少女が心に抱えるざらついた閉塞感だ。米国に住む詩人伊藤比呂美が地元の書店で出会い、惚れ込み、物語の主人公と同年代だった娘に下訳をさせて送り出した物語。

2019/06/23

Roy

★★★★+ 本を開くと干ばつにより、土埃一面の光景であるのだが、日記と向き合う少女の目は砂が入っても濁らず、澄んでいる。その実少女の「風よりも孤独、空よりも空虚」な内面は不安定でゆらゆらしていて、それを嘲り笑うかのような哀しみがやって来るのだけど、己から確実に一歩踏み出せる強さがあるのだ。砂に足を掬われる事無く踏み出せる少女の一歩って、揺るぎない光に見える。少し泣いた。

2009/06/12

tomo*tin

気づくと私は「あたし」で14歳の「ビリー・ジョー」で土埃の中に立っている。生きるとか死ぬとか幸せだとか不幸せだとかについて考えている。求めたものや奪われてしまったものに思いを馳せている。吹き荒れる土埃の中で真正面を見据えることは誰にだって難しい。だからこそ私は結果にではなく、そこに至るまでの過程に涙腺がゆるむ。目を閉じたからといって土埃が消えて無くなるわけではない。そのことに気づける人が一体どれだけいるだろう。ありのままの己や現実を許し受け入れるって物凄いことだと思う。気高い魂に出会いました。

2009/06/21

星落秋風五丈原

改行が多く言葉もぶっきらぼうで、同じ著者の「イルカの歌」とは大違い。でも絶えず土嵐の舞うオクラホマの農場で育つ14才の少女ビリー・ジョーとその家族は、そんな風に、ぶっきらぼうに話していたのかもしれない。どんなに掃除しても床には砂や小石が入り込む。食べ物に入ることだってある。そんな中で暮らせば気持ちもささくれだってゆくのかもしれない。ビリー・ジョーのオアシスはピアノ。ピアノは現実であり、未来に続くパスポート。他の二人を、踏ん張って支えていたかあさんは大地のような存在だ。だから支えを失った二人が後半迷走する。

2006/11/14

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