運命論を哲学する (現代哲学ラボ・シリーズ)
運命論を哲学する (現代哲学ラボ・シリーズ) / 感想・レビュー
ころこ
ほとんどが入不二と森岡の会話と書簡の応答のようなやり取りで、図やイラストが豊富なためページ数の割には文字数が少なく読み易いと思います。しかし、本書には文字や文が読めるということと違う難しさがあります。ある問題が分かるかということをその当人を審級にして判断する外ないという人文的で、突き詰めると宗教的な行為にはまり込みます。既存の哲学者の議論を参照項にしていないので、文字にされている共通の言葉を通じてのはずが、いったい何が問題なのか、なぜか各々が考えることがすれ違っています。それは論点ともいえない世界観のよう
2021/07/31
くれは
表題では運命論がテーマとして取り上げられているが、「運命とは現実をどのようにとらえるかの問題である」と問いを立てたうえで、「では現実とは何か」そして「現実の捉え方にはどのようなバリエーションがあり、どれがより本質的な<現実>か」という問題へと移り、むしろそちらの<現実>に関する議論に多くの紙幅が割かれています。
2021/03/31
ウィズ
今日から毎日一冊書店で本を買うことにした。 この本を買った理由は、失敗するときは「こうなる運命だったのか」という割に、成功した時には決して運命のせいにはしない、という趣旨の文章に納得したため。
2019/04/21
フクロウ
「運命」と「自由」の関係についての「大波」と「サーフボード」の喩えは、どう考えても世阿弥『風姿花伝』の「男時/女時」の話である。そしてこれは麻雀の「流れ」論でもある。/「いまどんなに苦しくても、絶望に陥っていても、みんなから認められなくても、消えてしまいたくても、そんなきみの存在全体が、「避けようのない奇跡」として生まれ出たという事実は動きません」と」(118頁)/第五章の再応答は意味不明だった。
2023/05/24
夢読み
いとこの本で頑張って読んでみたのだが、相変わらず難しい。本書の題名を見た瞬間にたいていの人は「運命とは何か」「運命は存在するか」のような問いとそれに対する答えを期待するだろう。ある意味では哲学のだいご味なのだが、入不二氏は全く想定外の「運命」の在り方を提示してくるのだ。我々はめいめいの「様相」を生きているので、「あるようにある」「現実」自体を感知するようにはできていないのではないか。物事の運動を論理を通じて観察すると、非本質の動きから本質が浮かび上がってくるような・・。ぜひ買って読んでください(宣伝)。
2020/05/23
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