私の浅草 (暮しの手帖エッセイライブラリー)
私の浅草 (暮しの手帖エッセイライブラリー) / 感想・レビュー
あじ
人生は出会いがあって別れがある。「私の浅草」が誘った記憶の三叉路は、懐かしい顔が行き交ったパンドラだった。幼心で感じる大人の事情、傷心、一喜一憂。それらをなぞるように語る沢村さんの文章は、凪いだ海のおおらかさを湛えている。母が丸髷を結わなくなった理由、下駄と引き換えに貰った恋文、関東大震災で途切れた安否…。机上の前で遠くを見つめ、筆を走らせては休める姿が瞼に浮かぶ。良縁結んだエッセイとして、大事に仕舞っておきたい一冊になりました。
2016/02/20
ぶんこ
向こう三軒両隣の晩ご飯のおかずが分かってしまう浅草の長屋暮らし。どの家も貧しいながらも助け合っていて、僻んだり妬んだりせず黙って思いやっている。そんな浅草女房の鏡のようなお母さん。粋でいなせなのは見栄えの良いお父さんではなく、心意気のあるお母さんです。この母にして貞子さんあり。常に弱い人を密かに手助けし、謝罪に来た人にはあなたのせいではない、これこれの事があったからと嘘までつき、どうして嘘をつくのかと聞いた娘には「人様の商売の邪魔しちゃいけないよ」と言う。なんて素敵なお母さんでしょう。感動しました。
2019/10/16
コジ
★★★★★ 「浅草」でイメージするのは浅草寺と雷門、仲見世度通りと六区の賑わい…。要するに古くから観光地として成り立っている地域のイメージ。本書で語られるのは下町としての浅草であり、しかも明治の終わりから大正、昭和初期にかけての古き良き下町、浅草とそこに暮らす人々の様子。男性上位なのは気になるが、お互い様の精神で温かみのある粋な暮らしぶりに憧れさえ感じる。文間からは著者の人柄が滲み出ていて読んでいると温かい気持ちになった。
2019/08/15
fwhd8325
ある世代まで、東京を象徴する町は浅草だったんだと想う。沢村さんのあとがきにある、花森さんとのやりとりには、短いながらもそんなことを感じさせる。今から思えば、こんなことと思うのだけど、私自身の記憶では少し前まで、東京の下町は、こんな場所だった。今よりも、もっともっと人と人が、それぞれの家庭の距離が近く、だからといって必要以上に関わらない、大人も子どもも分別があったように感じます。こんな大人にほめられたいなんて、そんなことを思ったりもしている。背筋がシャキンとするエッセイでした。
2016/10/11
Mayumi Hoshino
明治に生まれ20世紀末に亡くなった女優・沢村貞子さんによる、故郷・浅草にまつわるエッセイ。どこを切り取っても粋でいなせで小気味よかった。そして私の中にも息づく昔の文化に、郷愁めいた気持ちをくすぐらされたり(かいまき、私も祖母につくってもらった)。それにしても、沢村さん達の世代と現代とでは、女の扱われ方がだいぶ違うことに驚かされるばかり。店屋物をとっても食べられるのは父と兄と弟で、母と娘が食べるのは残り物だったり。沢村さんにそんな狙いはないだろうのに、ついついジェンダー論的目線で読んでしまったところも多々。
2015/09/13
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