ウィトゲンシュタインの誤診 -『青色本』を掘り崩す-
ウィトゲンシュタインの誤診 -『青色本』を掘り崩す- / 感想・レビュー
原玉幸子
「私の見えている赤は本当の赤なのか」はガキの頃から、更に遡れば「私とは何か」は自我の目覚めと同時に問い掛けて来た疑問なので、元々は「だからこそウィトゲンシュタインか」と思い込んでいましたが、『論理哲学論考』は結局再読必至の「頭悪し」でしたし、「永井均ならば脳味噌も受容出来るかも」と期待した今回も又、厳しい結果となりました。宗教も哲学的にその原理をインド哲学の根本発想から解釈したがる私にとっては、言葉尻だけを捉えて悪魔の証明的に「あーでもない、こーでもない」と言っている風で、うーん難解。(◎2022年・夏)
2022/07/22
テツ
「毛唐のキチガイの考えることなんか解らない」というヴィトゲンシュタイン評を思い出した。ヴィトゲンシュタインの『青色本』を永井先生が批判的に検討する内容。彼の考える自我論。『私』というモノはいったい何処まで言語で切り刻み抉り出し解体することができるのか。ここにいる『私』という存在は『私』自信しか理解できない筈なのに何故他人にこうも容易く理解され(た気になられ)てしまうのか。うっすらと新しい場所が見えた気がする。要再読。
2016/08/02
masabi
難しい。『青色本』を批判的に検討することが目的だが、その本自体を理解できていないので仕方がない。
2015/03/10
大道寺
ウィトゲンシュタイン『青色本』の後半を永井が翻訳して40分割し、それぞれに永井のコメントが挿入されている。この形式、すごくいいと思う。哲学書だって何だって好きに読んだらいいんだというのは私の基本姿勢だけど、専門家はどう読み解くのかというのは参考にしたいところではあって、でも哲学科の学生でもなく仕事に追われて大学の授業にもぐってみたりもできない私にとっては、こうやって時には他の訳者との訳し方の違いから説明してくれて小さなまとまりごとに解釈・批判を提示してくれるのは、とてもありがたいのだ。(1/3)
2012/09/16
takao
青色本の訳出とコメント
2021/01/28
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