吉増剛造詩集 (現代詩文庫 第 1期41)
吉増剛造詩集 (現代詩文庫 第 1期41) / 感想・レビュー
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笑えるってことはいい詩だってことさ!
2019/07/20
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太陽を拝すかわりに/スピノザを一時間ほど読んで/風のように/街へもどり/歩きはじめる/まちがっているかも知れない/一切の行為を冒険にしなければ/納得しない/青春の病癖をいやそうとするのは (「今朝も道玄坂をおりて」)
2018/03/12
misui
言葉を、イメージを、全宇宙の瓦礫を装填して次々と撃ち出す運動の激しさでは、おそらく現代詩人の中でもトップクラス。この巻には初期の詩が収められており、60年代の激しくも新鮮な詩業が見渡せる。「ぼくは詩を書く/第一行目を書く/彫刻刀が、朝狂って、立ちあがる/それがぼくの正義だ!」「剣の上をツツッと走ったが、消えないぞ世界!」(「朝狂って」) 猛スピードのままに疾走しながら、運動は徐々に螺旋を描いて、力の湧き出る場所に向かっていく。外側が激しいあまりに相対化される中心、その幻想が渦を巻く領域へ。
2014/08/04
またの名
チャップリンのようにスケートしてアイスキュロス風に考えながら第三京浜国道で燃え上がる神木のように絶叫し、物質を変形させる李白的快楽に乗っていくと綴る激しいウェイブ(『波のり神統記』)に衝き動かされた詩魂は、60年代後半ぽい暑苦しさがむんむん。けれども、「人間存在の革命的ういういしさを、見られも感じられもしない虚体において内包するネガティヴな宇宙感覚」と論評された詩人は、激情を駆り立てるアジテーションの怒濤の中でも小ボケを常に忘れないコメント芸人の如く「八紘一宇(なんだこれ大蛸のイマージョだな)」とも呟く。
2015/02/10
再読。いつ読んでも異様なテンションの高さに笑う。初期は、北村透谷の影響を受けたような「エクスクラメーション・マーク」を頻繁に使用し、言語それ自体が詩人自体を捨て去るかのように何処までも疾走してゆく。しかし、この絶え間ない疾走と饒舌に顔を覗かせるのは、やっぱり類稀なるユーモアなんだろうなあ。吉増剛造の詩(特に初期)を読む時、神妙な顔をして読むのはやっぱり間違っているだろう。鼻くそほじりながら、ゲラゲラ笑いながら読むのがいい。
2021/11/07
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