音楽への憎しみ
音楽への憎しみ / 感想・レビュー
傘緑
「わたしは、音楽が音の苦しみと切り結ぶ関係について問う」オルガン奏者の家系に生まれ、自身もピアノやオルガン、チェロに親しんでいたキニャール。アフォリズムのような短い文章にまとめられた音楽への愛憎。「音楽はあらゆる芸術のなかで、ドイツ軍が一九三三年から一九四五年にかけておこなったユダヤ人殲滅運動に協力した唯一の芸術だ…とりわけ洗練され、複雑な音楽を愛し、それを聴いて涙さえ流しうる人が同時に獰猛さに捕らわれうることに驚く人がいることにわたしは驚く。芸術は野蛮の反対ではない。理性は暴力と対立するものではない…」
2017/02/23
内島菫
私がこれまで音楽や音楽にかかわる人に覚えていた違和感をはるかにこえ、果てのない忘却と源の闇に連れて行ってくれる(が、帰り道はない)。マイナー漫画を描く人で音楽もやる人は多い。それは、視覚にかかわる人々の聴覚にかかわる音楽への屈伏のように見える。自分の描く漫画よりも、たとえ余技であっても自分の奏でる音楽の方が簡単に人心をつかみ他者とつながることが出来ることを彼らは知っている。音楽とは集団性だ。私もキニャールのように古楽を中心として音楽を聴く。それは主に音の感触に個人的に触れたいがためだ。
2019/02/22
ふるい
キニャールの代表作として挙げられることの多いこの本をやっと読み終えることができた。凄かったとしか言いようがない。誰よりも音楽を愛した者だからこそ書ける、音が持つ根源的な支配性、そして恐怖し従属してしまう人々の愚かさ。"すべてを神話的活力のようなもののなかにまた沈めてみたかった" キニャールの試みの途方もなさに、うつくしさに胸打たれる。"この世界では人間的なものが重きをなしたことはけっしてない"それでも何かを思考し続け書き続けずにはいられない。
2018/04/26
しゅん
オルガン奏者の家系に生まれ育ったバロック音楽の愛者が書き綴る十編の「憎しみ」。鶏の声を聞いて自らの裏切りを自覚したペテロの挿話をはじめ、ヨーロッパ、ギリシア、中国、インド、日本に残るあらゆる物語から音楽の暴力を炙り出してゆく。アドルノの録音芸術批判に通じるものがあるが、こちらはもっと絶望が深い。これを読むと、音楽に感動か苦痛しか感じない極めて乱暴な感性しかぼくらは持ち合わせられていないんじゃないかという疑いが胸に広がってくる。同時に、この本は言葉をもってして「音楽」の繊細さを表現しているような気もする。
2018/04/10
名無し
もう若くはないといってよいある時期まで、来る日も来る日も音楽は聴いていた。本を読まない日、映画を観ない日、そんな日はあっても音楽を聴かない日は一日としてなかった。不確かな記憶を辿ろうにも、気づかぬうちに、知らないうちに、音楽の流れてこない、聞こえてこない日が、めずらしくなくなっていた。この先も一生ずっと音楽を聴かない日はやって来ないだろう、本と映画と音楽と、究極の一択を迫られてもおそらく音楽を選ぶのではとの確信に近い想いもあったというのに。愛とも憎しみともつかぬなにかに音楽はいつしか覆われていたのだった。
2023/08/31
感想・レビューをもっと見る