カタコトのうわごと
カタコトのうわごと / 感想・レビュー
ヴェネツィア
様々な媒体に発表されたエッセイを集積したもの。一つ一つは、概ね短い。前半は、これが多和田葉子の文章かと思うくらいに軽やかだが、後半は一転して思索的なものに変わる。これらを読むと、彼女の着眼や思考回路がよくわかり、その特質は「越境」にあったのではないかと思い至る。例えば、一連の『ハムレット』に関するもの。あるいは、パウル・ツェランの詩の日本語訳にモンガマエの重層性を見たりするくだりなど。さらには、能面の本質を「死者の首が失われた身体を取り戻そうとして役者に取り憑く」とする指摘などには眼を開かれた思いがする。
2014/12/12
どんぐり
ドイツ語で小説を書いたり、群像新人文学賞を取って日本で作品を発表している多和田さんのエッセイ集。「感性は思考なしにはありえないのに、考えないことが感じることだと思っている人がたくさんいる。だから、ものをあまり考えず、世界を身体でとらえ、ミズミズシイ感性とかいうものを持っていることにさせられている若い女の子が書いた小説、という腰巻をつけられて小説が売られる」を読むと、つい納得してしまう。
2014/04/24
Roy
★★★★★ 多和田葉子の自作解説、言葉(日本語と外国語との相違など)について、書評、翻訳のこと、そして短編のような童話みたいなもの。あとがきにもあったが、言葉の分断・分解を行い、その言葉の輪郭を探るとは、なんて面白い作業なのだろうか。外国で生活をしている者独自の日本語と真摯に向き合う姿勢の良さ、コトバという記号への捕らえ方が刺激的だ。
2009/01/13
ラウリスタ~
台北桃園空港図書館本。多和田さんが外国語作家としてなった頃(ドイツ移住後6年ほどして)、そしてドイツ移住直後、自分の日本語がどのように崩壊して、それを再構築していく。その過程で「美しい日本語」などといったメランコリーによってではなく、ドイツ語と格闘することで、逆説的に母語であるがゆえに蔑ろにしてきた日本語を、「自分の所有物ではなく、それ固有の歴史を持つ他人」として扱うすべを身につける。後半のエッセイはさほど一貫性もないので読まなくてもいいか。母語でないからこそ、言葉の持つ思わぬ連関に気がつくことが多い。
2018/09/11
ユカ
エッセイ、書評など。 多和田さんの私生活が謎なので読んでみた。ドイツでわりと活動的なので驚いた。朗読会、行ってみたいがドイツ語は分からない。wordの変換についていちいちツッコミを入れるようなのが苦手なのになぜか惹かれる、多和田葉子。作品によって好き嫌いが発生する多和田葉子。理由は結局分からず。書評、難しかった。
2019/01/22
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