辺境の館
辺境の館 / 感想・レビュー
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ポルトガルはリスボン郊外にあるフロンテイラ邸のアズレージョ(彩釉タイル画)を題材にとって書き下ろされた復讐(の復讐の復讐)劇.凄い.描線 =筆致は明瞭で寧ろ簡潔なのに,結ばれた像はどこか遠近感や死生観が狂っていて."歪み真珠"的な意味で,バロック.『生けるものそれぞれの内部で足踏みしている命のかけらを取り出してみれば、その前では私たちは影のようなものにすぎない。われわれの性器を隠している布をはがすとき、いつもその周辺を不思議なかたちで取り巻いているものこそ、生者から生者へと転生してゆく光なのだよ。』
2015/08/02
内島菫
趣味がいいとはいえない稚拙さ異様さで描かれたフロンテイラ邸の彩釉タイル画(アズレージョ)は、しかしどこまで本気かわからない独特の魅力がある。著者がこのタイル画に想を得て、復讐の復讐という本書を生み出したというが、確かにあらゆる解釈を拒否すると同時に受け入れてくれそうな絵ではある。三角関係のもつれによる殺人、傷害、自殺という過剰なテーマだからこそ、著者の削りに削られた文体が厳しさとして生きるのだろう。元ネタである絵がいくら印象深く表現されていても、何も語らない(人を寄せ付けない)異様さを持っているように。
2018/03/18
安南
バロック庭園写真集のために書き下ろされた短編。庭園を埋めつくすポルトガル版鳥獣戯画といった趣きのアズレージョ(タイル画)から「夢想された」由来をマニエリスム的手法で描く。このアズレージョの素朴、かつ淫猥なイメージと作者の古風な文体とが相まって、独特の雰囲気の作品になっている。帯に阿部定の名があるが、全く関係ない。共通するのは切り取ったということだけ。幼いルイーザにジョームが贈った鏡にはホロフェルネスの首を切り落とすユディットの装飾が。ジョームにとっては、首じゃないだけマシだったのか…。
2013/05/29
zirou1984
リスボン郊外にあるバロック建築を彩るタイル画に着想を得て書き下ろされた短編小説。ポルトガル語において「歪んだ真珠」を表す言葉に由来するバロック美術、その過剰さに満ちた世界への隠すことのない憧憬をキニャールは淫靡で欲深い復讐劇として描きながら、その文体はあくまで冷ややかで簡潔だ。そのなかに込められた芸術への価値観、闇の中に広がる青さ。それは猥雑でありなら、とても優雅だ。それにしてもタブッキの作品の数々といい、青土社の青表紙の本はどうしてこんなに手元に置いておきたくなるのだろう。そこに漏れるのは永遠の嘆息。
2018/04/23
傘緑
「一九七九年、私は一六四〇年に読まれたかったと書いた。一六四〇年はポルトガルの命運がかかった年である…」ポルトガルのバロック建築・フロンテイラ邸の青タイル画(アズレージョ)に霊感を得た、著者自らが「残酷なまでに美しい」と称するこの短編小説は、親ともいえるそのアズレージョの面影を留めている。粗野と卑猥、滑稽さ、優雅さ、残酷さ、そして不思議な入れ替えと奇妙なくり返し…「芸術作品は復讐の果実であるかもしれません…欲望は日々われわれを狂わせ、それが欠ければ闇へと捨てられる。まことに闇は青い」まだ闇が青かった時代
2016/09/04
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