マンガは変わる: “マンガ語り”から“マンガ論”へ
マンガは変わる: “マンガ語り”から“マンガ論”へ / 感想・レビュー
うえ
「大学人がマンガ研究に着手する際、先行研究を参照しなかったり、在野の論者を招聘したり学位を出したりする際に最低の人選をしてしまうといった、「奇妙な振る舞い」をする背景にも、「ぼくら語り」と同様に無意識的な欲望の断念を見て取ることは許されるのではないか。その意味では、竹内一郎『手塚治虫』の、九州大学での論文博士取得と、06年のサントリー学芸賞受賞は、まさに象徴的な「事件」だろう。同書とその原本になった論文は、先行研究をまともに参照しておらず、また資料の扱いにも問題が多く…たいへん水準の低いものであった」
2019/11/05
山像
いきなり批評としてやってはいけないこと(印象批評、自分個人の感想の過剰な一般化、所詮パロディーだという逃げのポーズ、等々)を全部使って紙面を埋め尽くしてるような成年コミック評で始まって何だこれはと思った。「アジテーションとしてのガンダム」などは面白かったので(富野喜幸の受け売りを語るガンダムファンと朝日新聞記者のすれ違いを浮かび上がらせる箇所などは中々エグい)、漫画表現の批評というよりは業界を取り巻く運動などの歴史を語る人という認識で見た方がいいのかもしれないと思った。
2015/12/30
kiyoyama_san
「エイリアン9論」のなかで マンガのコマを「クロノス時間」と「カイロス時間」で説明したのが面白かった 『戦闘美少女の精神分析』も読んでいたけどすっかり忘れていた
2016/01/03
yoshinoriことしろたんの人
収録文章の中で既に既読だった部分を省いて一読。マンガ(一部アニメ)論で取り扱っている作品はメジャーなモノから、サブカルすぎて(癖がありすぎて、か)好みが分かれるものまで。冒頭に「テヅカイズデッド」を読んだ上でと触れていますが、ポストモダンとポップカルチャーに関する本を数冊読んでいたら関係なく読めます。とはいえ、「テヅカ…」はデビュー作兼有名書なので読みたいのですが。
2013/09/25
tktn
『あずまんが大王』について、卒業によってテクストが閉じられ、蓄積されたエピソードを「楽しい思い出」として機能させる、という記述はたしかにそうだな、と思った。「コマ間の落差を排することにより、エピソードの細部をいくらでも細かく微細に語」る(P132)というのは、仙石寛子のマンガを読んでいて思ったことだな。でも仙石寛子のマンガについて書くには、たぶんまた別の要素を念頭に置かなきゃいけないかもしれない。
2012/11/09
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