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ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

作家
熊谷晋一郎
大澤真幸
上野千鶴子
鷲田清一
信田さよ子
出版社
青土社
発売日
2013-10-24
ISBN
9784791767397
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ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」 / 感想・レビュー

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ネギっ子gen

痛み。極めて個人的な体験でありながら、社会的な共同性の只中で起きる感覚。脳性まひの当事者として鋭い発言を続ける熊谷晋一郎小児科医が、痛みと「記憶」「快楽」「言葉」「ケア」をテーマに、様々な分野のゲストと忌憚なく語りあった記録。熊谷氏の、<痛い出来事を連想させるような、ふとした知覚や暇によって、痛む記憶がありありと再体験されることの苦悩を、身体障害者や依存症者の当事者研究を参考にしながら、各分野のゲストとともに描こうとした>という書き込みに共鳴。ゲストは、大沢真幸、上野千鶴子、鷲田清一、信田さよ子の4氏。⇒

2021/02/23

ゆう。

痛みについて、記憶・快楽・言葉・ケアをテーマに、人にとってどのような意味があるのか考えた内容。痛みは個人的なもの、また孤立感をも生み出すもの。しかし、同時に痛みから共同性も生まれる可能性がある。そのように感じました。とても良書だと思います。

2020/05/13

nbhd

他者と共有することができない「痛み」について、どうアプローチするか?脳性まひの著者と4人の識者による対談本。僕は大澤真幸さんの得意技パラドキシカルなロジックを敬遠していたのだけど、この本では頷くところが多かった。ダルク女性ハウスでは、ミーティングで体験談が話されるときに「面白い」「なるほど」と応答してはいけないルールだという。大澤さんはこれを例に「共感の不可能性こそが共感」だといい、ヨブと神の「話の通じ合わなさ」の話と接続したりする。逆説的なウルトラCロジックだけど、なんとなくわかり、なんとなく癒された。

2020/12/07

aof

痛みは極めて個人的な体験でありながら、社会的な共同性の中で起きている。痛みは強制的に人を今ここに拘束させ、今ここの点の積み重ねが連続し、終わらない痛みになってしまう。それを言語化したり、他者が介入することで、痛みの連続点に区切りができる。痛みのアスペクトを分節化するって、すごくよくわかる概念だなー。分節化するから、分散できる。重層化できる。違うレイヤーで見れる。起きていることを分節化する力はすごく大きい。それこそが当事者としての言葉を得るということだろうか。

2014/01/21

amanon

「痛み」。万人共通の感覚でありながら、その捉え方は多種多様なんだな…ということに改めて驚かされる。そして何よりも目が鱗だったのは、痛みに苦しんでいる人への対処法として、必ずしも傾聴や共感が有効ではないということ。これは高齢者介護に携わる者として、大きな示唆だった。また、著者と母親との愛憎入り混じった一筋縄ではいかない関係には複雑な思いにかられる。障害者である息子を一人前にしたい…親なら当然という思いも、時として有害なものになりかねない。昨今の先行きが見えない状態にあって、障害者の事情も変わっていくだろう。

2021/05/07

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