ヴァルター・ベンヤミン著作集 4
ヴァルター・ベンヤミン著作集 4 / 感想・レビュー
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歴史的に考えてみると、芸術作品を認識論の主要な媒質とすることは、プラトンの時代にはたぶんありえない。芸術作品が、今日的な意味でのたんなる文化批評の対象ではなく、高次の批評もしくは哲学的認識論の契機となるには、そこに人間の創造性の自覚と無限なものの反映が認められことが必要条件だった。では、ぼくらの時代ではどうか。おそらく主要な認識論の媒質は別のものへと移行したのではないか。かろうじて引っかかっている「芸術作品」は、せいぜい大衆映画やテレビドラマくらいのものであって、しかしそれは疎外の契機としてなのである。
2018/07/17
さえきかずひこ
ベンヤミンは"反省"概念(人が自ら、考えることについて考えること)を基軸に、ロマン派の"反省"は体系的であり、物事を概念的に把握するものであるとする。また、フィヒテは"反省"の無限性に否定的だが、ロマン派はそれを信じているとする。彼らにとって藝術の理念は無限に進みゆくものである(が、それは近代的な進歩ではない)。この点はゲーテの古代ギリシャに偉大な藝術のイデアが存在したという考え方とも異なる。ロマン派の認識論には客体をもたない主体同士が認識し合う神秘主義的な世界観があることを指摘している点も大変興味深い。
2018/05/11
D.Okada
ベンヤミンは、ロマン主義以前の芸術作品は、客体として判定されるもの、ロマン主義のそれは、「批評」されるものだという。ベンヤミンの言う批評は完成する行為のことで、作品の自己認識が批評者自身の自己認識になるものであり、近代的な認識論とは異なる。ロマン主義を「主観化されたOccasionalismus」とし、その強い主観性を批判し、それが近代批判につながっていくシュミットの「政治的ロマン主義」論と、ベンヤミンが提示した主客の区別を伴わない認識論と突き合わせたとき、シュミットの議論をどう考えたらよいのか。
2013/12/19
ばん
ドイツ・ロマン主義の文学者たちの理念をめぐる論稿。芸術理念から、批評におよび、ゲーテという一大文脈との比較の中で、その影響と差異を明らかにしている。四章の「初期ロマン派とゲーテ」を論じた個所では、ベンヤミンの常套的な、カント哲学の流れをうけた認識論が感じられる。
2013/05/27
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